陸上競技「十種競技」で元日本チャンピオン!さらに”生身”の人間にも関わらず”百獣の王”を
目指している?というタレントの「武井壮」氏が、旅先の”スペイン”で「車上荒らし」に
遭遇したことが分かり、注目を集めている模様です。

武井壮氏”45歳”にして、初の”車上荒らし”に見舞われたご様子!

その気にある武井壮氏の”車上荒らし”について紐解いて行きます。


引用元【ツイッター(モデルプレス )】

“車上荒らし被害”を受けた一方を伝えたのが、2020年度東京で行わわる”パラリンピック”の
「PRイベント」に参加した際で、イベント終了後の記者会見で明らかにされたご様子!

海外旅行に出向いた先は”スペイン”の「バルセロナ」であったらしく、共に旅していたのが
【なんと!】男性ダンス&ボーカルグループでお馴染み”DAPUMP”の「KENZO」氏との
ことです。


引用元【インスタグラム(dapump.kenzo)】

“被害”を受けた当時は、バルセロナにある山?で”雄大”な景色を一望しながら、お得意の楽曲
“USA”の「カモンベイビー・バルセロナ♪」で”ノリノリ”に踊りながら楽しんでいたようです。

【ところが!】借りていた「レンタカー」の”窓ガラス”が壊され、KENZOの被害は「持参
していた”年末仕様”?の紅白歌合戦用の”衣装”」や、武井壮氏の被害は「お気に入りのライダー
ジャケットや洋服、合わせて”210万”円相当」が盗まれた!とのことです。

旅先の”スペイン・バルセロナ”は「有名観光地」であっただけに”警備が厳しい!”と思い込んで
いたらしく【まさか!】の”車上荒らし遭遇”で、相当落ち込んでいたそう(壮)です。

“暮れ明け早々”に思わぬ「痛手」に遭遇した武井壮氏にスポットイン!



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 中高大学は?
・ 結婚済み?
・ 武井咲出産で?
・ プロフィールのご紹介!



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◇ 武井壮氏の中高大学は?

武井壮氏は1973年5月6日生まれの46歳(2020年)で、ご出身は「東京都葛飾区」です。

ご出身の”東京都葛飾区”にあるご自宅で、ご両親と兄の四人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に
有る学校に通うのが一般なので、武井壮氏も(東京都葛飾区)内の小学校・中学校に通っていたと
“推測”できます。

最新の情報では小学校は地元の東京都葛飾区にある”葛飾区立亀青小学校”にご入学されたと
判明しております。

但し、幼少期~高校時代迄の情報が乏しい(ほぼ皆無!)なので詳しい事が分かっておりません。

ご家族は”ご両親”と二歳年上”兄”がいて、ご本人は「次男」として生まれ育ったご様子!

“父親”の職業は「美容師」で、幼い頃から父親に髪を切ってもらっていた!とのこと。

子供の頃から”相撲”が大好きであったらしく、当時”横綱”として君臨していた元”人気”力士の
「千代の富士」に憧れを抱いていたそうです(私もそうでした・・・!)。

小学校時代になると、とにかく”運動”が好きで学校に登校する際も毎日”走って”通っていた模様。

しかも、その際には決まって”タイム”を計り、自身の”記録更新”に挑戦していたのだとか!?

また小学校三年生の時に、近所に住んでいた”スポーツ系”の大学に通う学生から「運動理論」の
難しい”教材”を渡されていたらしく、分かる範囲で”運動”の勉強をしていたらしいです。

そんな”健康的”な少年?と思いきや、意外に食事の”好き嫌い”が多い子供でもあったらしく、
決まって「肉のソボロご飯」と「焼き魚」以外の料理には興味を示さなかった?とのことです。

また、その頃に両親が「離婚」をされたらしく、武井壮氏の”親権”は父親が持ったことから
「父子家庭」で育ち、その後は一切!母親とは”コンタクト”を取っていないのだとか!

その後、小学校六年生になると父親の商売(美容系)が”不調”となり、さらに「再婚」をした事で
家に居づらくなり、二歳年上の”兄”と一緒に「別居(アパート暮らし)」することにした模様!

住まい(アパート)の”家賃”は父親が払っていたそうで、また”お小遣い”も定期的に貰っていた!
とのことです。

そのため”貧素”な小学時代を送ってはいたものの”運動”に関しては「天下一品」で、元から
“走ること”には「長けていた」ことから”陸上クラブ”に入ると直ぐに「頭角」を表わし、
“短距離走”では右に出るものが居なかったとのことです。

小学校六年生になると、二つ年上の”兄”の影響から”野球”を始めたようですが、”走る”ことに
関しては問題無く【ところが!】「打つ・守る」が非常に”苦手”で、野球の才能は発揮できずに
終えた模様です。



引用元【サイト(NAVERまとめ)】

運動好きな小学時代を終えると、中学校も地元の東京都葛飾区にある”修徳中学校・高等学校”に
ご入学されました。

この学校は、その名の通り”中高一貫教育”であることから中学校にさえ”ご入学”できれば高校は”内部基準に沿って「エスカレーター式」で”進学(進級)”することができます。

武井壮氏の場合、”片親(父親)”が居たことは事実ですが、兄との”二人暮らし”で生活していた
ことから「親が居ない!」と判断されたらしく、”経済的理由”より「特別条件」でご入学できた
模様です。

「特別条件」とは、後に進学(進級)するであろう”系列の高校”に入る際、高校に設けられている
「特待生制度」を活用することを目的にし、中学時代にかかる費用(学費)は全て免除(私立)とし
普通の”生徒”と変わらずに学習することができる!とのことです。

武井壮氏は小学時代から”運動”に長けていたことはもとより、学業も相当”優秀”であったらしく、
【まさに!】この”条件”に適した子供であったようです。

なので、”中学時代”は特に勉強に励んでいたそうで、いずれ受けたい高校の「特待生制度」を
目指して頑張っていたようです。

では”兄”は?と思う方が多いとは思いますが、兄については詳しく分かっておりません。

ただ”厳しい環境”での中学時代を送っていた?と思いきや、意外にもクラスでは”人気者”で
あったらしく、元からある日焼けした”素肌”、さらに”小顔”であったことから”ルックス”ウケが
良くて周りから”好評”を得ていたのだとか?

なので、その当時”人気”を博し「美少女」として話題を呼んでいた女優の「後藤久美子」さんに
“風貌”が似ていたことから、彼女の代名詞(愛称)「ゴクミ」をマネして呼ばれていたのだとか!

一方で、”運動”の方は小学時代から続けていた”野球”を行うべく、中学校に設けらえていた
「野球部」に入部したらしく、小学時代に練習をしていた「クラブ」とは一変して新チームでの
スタートを切ったそうです。

すると”新チーム”でのご自身の「実力」は相当”高かった”こと!、更に体も大きくなり持ち前の
「運動能力」が発揮できるようになったこと!等の”相乗効果”をもたらし、部活内では”俊足”を
生かせる打席の「一番」、またポジションも「ライト」、さらに「レギュラーの座」までもを
“手に入れた”ご様子!

さらに部活の顧問(監督)には大変”良くして”もらったらしく、”貧素”な家庭環境が知られていた
ことから、学校での「食事の面」などを”援助”してもらっていた!とのことです。

中学時代は【まさに!】「文武両道」の生活を送られていたのですね・・・

…とは言うものの”思春期”でもあったことから中学校三年生の時に、”他校”に居た二つ年上の
女子生徒に「恋心」を抱き、そのまま”告白”して見事!「交際」に至ったそうです(笑;)。

真面目に過ごした中学時代を終えると、高校も系列の”修徳高等学校”に「内部基準審査」のみの
“エスカレーター式”でご入学(進学)されました。

中学校時代の”成績”が相当「優秀」であり、高校は予定通り「特待生制度」が適用された模様!

この「特待生制度」とは、”成績”が優秀にも関わらず”家庭環境”に問題があり学校での”教育”が
“まとも”に受けられない生徒に対して設けられている「特別な制度」とのことです。

この制度が”適用”されると、在学中の”学費”が全て免除・定期テストで学年中”一番”になれば
月に”一万円”相当を援助、あるいは”三番以内”なら入学金も免除、などの”一般入試者”には
“ありえない”「得点」を、かなりたくさん得られるようです。

なので武井壮氏は、高校在学中は常に”トップ”の成績を収め”定期テスト”の特典?「数万円」を
手に入れていた!とのこと。

もちろん手にした「援助金」は、”遊び”ではなく全て「生活費」として使っていたそうです。

この高校の課程は”全日制”の「男女共学校」で、”学科”は「普通科」のみです。

今では”男女共学校”ですが、武井壮氏の”時代”は「男子校」であったようです。

また”学科”は、三つに分かれた”コース別”となっており「特別進学コース、進学コース、健康・
スポーツ進学コース」が設けられているとのこと。

スポーツ面では、”硬式野球部”と”サッカー部”が超「強豪校」として有名で、今までに沢山の
“プロ・野球選手”・”プロ・サッカー選手”を輩出しているようです。

武井壮氏は、高校時代になると中学から続けてきた「野球」を諦めたのか?急に”文化部”の
「地理歴史研究部」に入部されたご様子!

但し”運動”の方は、新たに”ボクシング”に挑戦していたとのこと。

なので、武井壮氏の”運動能力”を知る者は殆どおらず【しかも!】”文化部”であったことから
【まさか!】武井壮氏が「運動神経が良い」とは誰も思っていなかった!とのことです。

そんな最中、高校の行事(体育祭)があった時に”部活別”の「対抗リレー」に選ばれたらしく、
元から兼ね備えていた「俊足」を生かして”激走”した結果、全ての”体育会系”の選手を退き!
見事!”地理歴史研究部”ながら「優勝」を飾り、周りの”驚き”を買ったご様子!

さらに”後に”なる三年生の時も、同じように「部活別対抗リレー」に選ばれ”地理歴史研究部
(文化部)”のまま出場し、途中まで”ビリ”であった順位の中”最終ランナー”で登場し、全ての
“走者”を抜いて「優勝」に貢献したそうです。

この功績(文化部の優勝)?は今だに学校の「伝説」として伝えられているのだとか?

そのため高校時代は「陸上競技」にも”興味”を持ち始め”ボクシング”練習の傍ら”走ること”にも
“積極的”に取り組んでいたそうです。

高校二年生になると”中学”同様に、また”年上の女性”に「恋心」を抱いたらしく、先輩の女性
「寿子」さんに告白をしたところ、見事!”撃沈”したらしいです(笑;)。

様々”経験”をされた高校時代を終えると、大学は兵庫県神戸市に”神戸学院大学”の「法学部」に
ご入学されました。

高校までは様々な”スポーツ”や”文化部”に触れ、しかも”失恋”まで経験し(笑;)”学業”では
恵まれた環境で助けられ、一方で”生活面”では「貧素な時代」を送り続けてきましたが、
大学に入ると、元から兼ね備えていた「俊足」を生かすために”陸上競技”に取り組む様になって
行きます。

そのため、大学の”陸上部”に入部して「俊足」を生かすべく”短距離走”の練習に励んで行きます。

そんな最中の大学三年生の時に”陸上競技”の中に「十種競技」があることを知り、元から「一番
好き!」であったことから、陸上競技の”トップ・オブ・アスリート”の「称号」を”唯一”手に
できる”十種競技”に「転向」することを決断されます。

その”決断”によって、武井壮氏の「人生」そのものが”大きく”変わって行く事となります。

ちなみに何故”俊足”に最も適していた「短距離走」から離れたのか?というと、その当時
「陸上競技のマンガ」として”業界”では人気が高かった「デカスロン」の影響を大きく
受けたから!とのことです。


引用元【ツイッター(オタひろ3015 )】

その後、大学四年生になると”最愛”であった「兄(情さん)」が”小腸ガン”を患い、そのまま
「死去」されました。

その”兄”は「芸能界」で働いていたらしく、当時「俳優」を目指していたことから、俳優で
タレントの「坂上忍」氏の”付き人”を行っていた模様です。





陸上競技大会での”実績”や”経験”などは分かっておりませんが、”競技者”として大学在学中に
千葉県我孫子市にある「中央学院大学」の陸上部から”スカウト”を受けます。

すると、在学していた”神戸学院大学”をご卒業後、そちらの大学(中央学院大学)に再度”進学”を
されました。

たぶん”スカウト”であったので、通常の”一般入試”ではなく「推薦入学」による”特別待遇”等で
ご入学された可能性が高いです。

陸上競技(十種競技)での「スカウト」であったことから、とにかく練習に”荒狂って”いたらしく
“アルバイト”や知り合いとの”遊び”は一切「厳禁」で、朝から晩まで”死ぬ物狂い”で練習を行い
“学業以外”の時間は全て”陸上競技”に捧げていたご様子!

すると、その”成果”は直ぐに現れ1997年に開催された”日本陸上競技選手権大会”の「十種
競技」で見事!「初優勝」を飾りました。

さらに各”競技”の内「100m走」で自身初の”10秒54”をマークし”歴代最高新記録”を叩き
出したそうです。

“初優勝”を飾ると同時に、この種目の”ベテラン”「金子宗弘」選手が記録していた”七連勝”を
ストップさせ一躍、この種目の「若手の一人者」として”陸上界”では名を馳せた!とのこと。

しかし”そもそも”この競技(十種競技)は”メジャー”ではないので誰から注目されることもなく
“長い歴史”において行われてきた一種競技であり、武井壮氏が”優勝”を果たしたからと言って
特別”ニュース”になるものでもなく、陸上界でブレイクを果たすようなものではなかったのです。

ご本人も後のコメントで「チャンピオンになったらスターになれると思っていた!人生が開ける
と思ったの!しかし、街を歩いていても誰も自分に気づかない」と語っております。

“死ぬほど”練習してきて「優勝」という成果は得たものの、思いとは”裏腹”に「人気」という
成果は得られなかったご様子!

その”事実”を知ってしまった!ためか?大学をご卒業されると”陸上競技”の「道」には進まずに、
“雑誌”で見た”ゴルフ界”のレジェンド!「ジャック・ニクラウス」の愛称”ゴルフ界の帝王”の
「帝王」に”感化(刺激)”されて”ゴルフ”の「道」に進むことになります。

しかし、それでも”学業”の方では昔から「優秀」であったことから”部活”と”学習”を真面目に
熟して、大学ご卒業までには”社会科”と”商業科”の二つの「教員免許」を取得されました。

なので、”第二”の大学人生を終えた1998年から一路”渡米”されて「ゴルフ留学」を始めます。

【ところが!】ゴルフの特訓を始めると練習場所に毎回「軽食(サンドイッチ)」が準備されて
いたらしく、それを食べ続けたところ【なんと!】体重が”80kg”に達して、ゴルフどころの
話ではなくなってしまった!とのことです・・・(笑;)

また”スポンサー集め”の一環だったのか?ゴルフの練習場で「目立つ」ために、全く経験の無い
「曲芸」を披露して”資金集め”を行ていたのだとか・・・?

そこまでして”苦労”されていた一方で、”体”は「素直」であったらしく”曲芸”で体を動かしても
“脂肪”は着実に増えていた模様ですね(笑;)

なので、ゴルフは諦めて約二年後に”日本”に帰国されました。

すると今度は「スポーツ・トレーナー業」を始めたらしく、一路”台湾”に渡り地元の野球球団
“中国信託ホエールズ”の秋季キャンプに特別コーチとして招かれ、そちらで仕事を熟した模様。

その後は”スポーツ経験”を活かし「個人」での”トレーナー業”を勤しんでいたそうです。

すると”トレーナー業”の傍ら「芸能活動」も始めたらしく2005年には、お笑いタレントの
王御所「萩本欽一」氏が主宰していた社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」への入団に
成功します。

また、その少し前の2003年に公開された舞台”TBS体育王国プレゼンツ「アルゼマッスル
ミュージカル2003サマー」”に出演し、自身初の「舞台デビュー」を飾りました。

さらに2004年には、家電大手でお馴染み”松下電器”社が放送したCM「パナソニックDVD
(DIGA)」に出演し、自身初の「CMデビュー」を飾りました。

そして2005年9月から公開された映画”タッチ”に出演し自身初の「映画デビュー」を
飾りました。

“野球球団”に入団後は約一年間”ピッチャー”として活動していましたが”萩本欽一”氏から「顔が
嫌い!」との理由から「解雇された!」とのことですが…正確なところは分かっておりません。

“退団”後は、芸能人たちが行っている”草野球チーム”の「神様」に、”外野手”として入団された
ご様子!

その後も”スポーツ関係”の活動(仕事)を熟して行きます。

そして2012年頃になると”メディア出演”が増え始め、同年5月にフジテレビ系列で放送した
バラエティー番組”うもれびと”に出演し、自慢の肉体芸(筋肉質)?を披露しながら「百獣の王を
目指す男と!」として登場し一躍、注目を集めます。

さらに同年10月からはフジテレビ系列で放送されていた”お昼”の冠番組「笑っていいとも」に
自慢の肉体芸(筋肉質)?を引っ下げて”レギュラー”出演を果たし一躍「ブレイク」を果たします。

翌年の2013年にはTBS系列で放送されたテレビドラマ”タンクトップファイター”に出演し
自身初の「テレビドラマデビュー」を飾りました。

さらに2015年には、MBSラジオ番組”ゴチャ・まぜっ天国!”に出演し自身初の「ラジオ
デビュー」を飾りました。

その後はご存じの通り、スポーツ系の番組以外にもバラエティー番組やトーク番組!最近では
“クイズ番組”などにも出演し「マルチなご活躍ぶり」を見せながら、今に至っております。


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◇ 武井壮氏は結婚していた?

「百獣の王を目指す男」として人気を広め、自慢の”肉体美”を披露しながら学生時代にご活躍
された陸上競技の「十種競技」の知名度を広めた武井壮氏ですが・・・

【実は!】既に「ご結婚」を経験されており【しかも!】「バツイチ!!」とのことです。

“恋愛”では「愛獣」になれなかったご様子(笑;)

但し、運よく?あいにく?「子供」には恵まれていなかった模様です。

ご結婚されたのは2004年度とのことで、お相手は「オリンピック出場」の経験があるという
元新体操選手で、名前が「山田海蜂」さんという方のようです。


引用元【ツイッター(スポーツ報知 )】

出場した”オリンピック”は1992年開催のバルセロナ・1996年開催のアトランタとのこと。

現在は”新体操時代”に培った「柔軟性」を生かし”舞台”や”パフォーマー”として活動されている
とのことです。

生まれは1973年なので、元旦那の”武井壮”氏とは「同級生」となります。

また、ご結婚された当時は二人ともに”31歳”で、ちょうど「結婚適齢期」のあたりに一緒に
なったご様子!

二人が知り合たキッカケ(馴れ初め)は、TBS系列で放送されていたスポーツ・バラエティー
番組を”橋掛かり”として誕生した舞台”アルゼマッスルミュージカル”で”共演”したことからで、
同じ”体育会系”であったことから直ぐに「意気投合」したのでしょう?


引用元【ツイッター(FooK )】

この”山田海蜂”さんですが【実は!】本名は「山田美穂(やまだみほ)」さんということらしく
多分、”舞台”や”パフォーマー”として活動する時に「芸名的」に使っている!と思われます。

但し本当の「芸能人」ではないので、なぜお名前を変えるのか?は定かではありません。

ご結婚当初は「新婚」にも関わらず、武井壮氏が”仕事”で忙しく奥様(山田海蜂さん)を構って
あげなかった!ことが”理由”で「離婚」に陥った模様です。

なので、ご結婚後”たった一年間”の「夫婦生活」でしたが、一緒に居た時は相当”短かった!”と
推測されます。

さらに、武井壮氏の”ポリシー?”として「自己判断力」を”重視”してるらしく、たとえ夫婦でも
妻の「承諾」を得ないまま”自己判断”で行動を取るケースが多かったことから、山田海蜂さんと
してみれば、非常に「不満」を持ち続けた結婚生活であった模様です。

確かに武井壮氏は「自己中!」な部分が多いタレントですからね。

ご結婚”当時”は、相当「ご苦労」されたことでしょう!


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◇ 武井壮氏が武井咲出産で話題?

日本の”若手女優”の中には同じ姓を持った「(武井)咲」さんがおりますよね!


引用元【インスタグラム(emitakei_official)】

その”武井咲”さんですが、2017年9月1日に男性ダンス・ヴォーカル・ユニットでお馴染み
“EXILE”のメンバー「TAKAHIRO」氏とご結婚をされました。

この二人は日本テレビ系列で放送されていたテレビドラマ”戦力外捜査官”で「共演」したことが
キッカケで”ご結婚”までに至りました。

さらにご結婚発表と同時に、既に「子供を身籠っている!」ことも明らかとなり、周囲の驚きを
買っていました。

そこまでは”芸能人”では、よくある話♪

【ところが!】その発表後の2018年3月に武井咲さんが第一子となる「児女」を出産した
ことで、世間を大いに”ザワつかせる”事態となったのです。

武井咲さんの”ご出産”が分かると、一斉に”各メディア”で取り沙汰され「祝福の一報」を伝え
ましたが、それに紛れて?何故か”武井壮”氏にも「祝福のメッセージ」が”多数”寄せられた!
との事なのです(ご自身の公式SNS(ツイッター)に!)

もう、お分かりですよね【そう!】それは!!同じ「武井」間違いであったのです。アルアル話!

これに対し、武井壮氏も黙って居られなかったのか?ご自身の公式SNS(ツイッター)で”反論”し
「オレは出産してねえよ!」とのツッコミ♪

しかし「祝福がメッセージ」が止まらない・・・。

何故かと言うと【実は!】”TAKAHIRO”氏や”武井咲”さんはご自身の公式SNS(ツイッター)の
“アカウント”を取得しておらず、ファンたちが「祝福メッセージ」を届けたくても伝える手段が
なかったのです!

そこで「矛先」になったのが武井壮氏への「変化球メッセージ?」でした。

“変化球”としたのは、この件で武井壮氏が大騒ぎしたことで、その”ネタ”に喰いついた多くの
“メディア”たちは「ご出産報道」とは別に、このネタを広く伝えましたので、きっと”当事者”の
「両名」にも届いた可能性が高いからです。

すると、負けずに武井壮氏も「咲のほうだから。。オレだってタカヒロの子なら産みてえ
くらいだよ。。」等と”ツイート”して笑いを誘っておりました。


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◇ 武井壮のプロフィール

本名
武井 壮
読み
たけい そう
生年月日
1973年5月6日
仕事
タレント
出身地
東京都葛飾区
所属事務所
SPECIALIST JAPAN
血液型
A型