2019年10月、日本では「増税」がスタートし国民内に”疑心暗鬼”が漂っている最中、
それを打ち消すような”快進撃”を続ているのが”ラグビーワールドカップ2019日本大会”で
活躍中の日本代表選手ですが、その中でも”第二戦”の対「アイルランド」で途中出場ながら
逆転トライを決めチームに活力を与えてくれた選手がウィング(WTB)の「福岡堅樹」選手ですね!

 

引用元【インスタグラム(kenki11)】

 

大会前の予想では”アイルランド”を優勝候補に挙げていた関係者が多い中、それを打ち消すかの
如く「19-12」と言う”快進撃”を見せ、日本ラグビー界の歴史に新たな1ページ加えました。

2015年(前大会)に行われた”ラグビーワールドカップ”でもラグビー強豪国「南アフリカ」に
“劇的勝利”を飾り、日本中を「歓喜の渦」で盛り上げてくれましたが、まさにその試合を
「彷彿」させる!いや、それ以上の「劇的勝利」を飾ってくれました!!

しかも相手国だった”アイルランド”のラグビーファン達からも日本選手を”絶賛”する声が溢れ、
英国の公認バクチ「ブックメーカー」でも”決勝リーグ進出予想”のオッズが三桁から二桁まで
上昇し「世界」を巻き込んで大フィーバーとなっているそうで日本が得た”大金星”が、いかに
世界に”衝撃”を広げたかを物語っています。

逆に”優勝候補”に予想されていた祖国”アイルランド”では日本戦での”情けない敗れ方”や
“不甲斐ない戦いぶり”に大ブーイングが起こっており、国内では「暗雲の空気」に満ち溢れて
いるようです。

世界を巻き込んでの”大金星”に大きく貢献したウィングの「福岡堅樹」選手について、今後の
活躍にも期待を込める意味でもスポットを当ててみました。

 

スポンサードリンク

 

◇ 福岡堅樹選手の昔(学歴など)とは?

 

福岡堅樹選手は1992年9月生まれの27歳(2019年)で、ご出身は「福岡県古賀市」です。

小学校前の”少年期”から歯科医の”父親”の勧めで既に地元のラグビークラブに入り厳しい練習に
励んでいたそうです。

それと同時に3歳から「ピアノ」のレッスンにも通っていたそうで、現在のプロフィールには
“特技”に”ピアノ”を上げていらっしゃいます。

福岡堅樹選手の家族構成は四人家族で、ご両親と”姉”が居るそうです。

また祖父も開業医(内科医)だったらしく、まさに「医者家系」に授かった”お子さん”です。

さらに”姉”も只者!!ではなさそうで日本のミュージカル劇団でおなじみ「劇団四季」に所属して
いたらしく、お名前が「福岡唯子」さんと言うそうです。

現座は地元「福岡市内」で”ミュージカル歌唱の講師”を行っているそうで”劇団四季”時代に
経験した”ダンス”や”歌唱”を生かし、主に小中学生を中心に有料レッスンを行っているそうです。

もちろん”アイルランド”戦の大勝利に大きく貢献した”弟の勇姿”はテレビで観戦していたそうで、
「トライした瞬間、涙を流して喜んだ!!」とマスコミ取材に答えております。

小学校は地元福岡県内の公立校「古賀市立青柳小学校」にご入学され引き続きラグビーを続け、
学校の勉強をしっかり熟しながらラグビーも真面目に行っていた、まさに”文武両道”を小学校
時代から身に着けていた「優秀」なお子さんだったそうです。

しかしその一方で「落ち着きがない」部分があったそうで、家族旅行で訪れたのでしょうか?
以前”東京ディズニーランド”に行った際、勝手にどこかに走り出し”迷子”になって行方不明に
なったり、当時飼っていた犬と本気でかけっこして勝負したりと「走る」ことが大好きな
お子さんだったそうです。

ラグビーの練習を含め、その頃から既に「足」が強化され、鍛えられていたのですね!

中学校も地元にある”公立校”の「古賀市立古賀東中学校」に通われておりました。

中学校では”陸上部”に入部していたそうで、部活では”足”の強化を図りラグビークラブでは
“体”の強化に励んでいたようです。

そこからラグビー日本代表で”ウイング”を任される程の選手へと育って行ったのでは!!

現在のチームでは50mを「5.8秒」で駆け抜けるそうですが実は!!在籍していた陸上部の
“福岡県大会”で100mを「11.75秒」で走り”準優勝”に輝いた経歴があるそうです。

中学当時から「足」には自身があったようで、ラグビークラブチーム(玄海ジュニア)では
福岡県の代表選手に抜擢され、全国大会で優勝を飾った経験があるそうです。

中学ご卒業後は高校も地元にある「福岡県立福岡高等学校」に進学されておりますが、
こちらの高校なんと!!地元でも有名な「偏差値70」を超える”超難関校”らしく、一般入試で
入学するのは非常に難しい進学校として県内外で有名のようです。

それを裏付けるかの如く!!今までに進学した生徒の実績は「東京大学7名・京都大学5名・
大阪大学10名・九州大学90名」、早稲田大学に至っては15名以上を輩出している
「名門校」です。

そんな”超難関校”に福岡堅樹選手は一般入試で入学しており、いかに学力も優秀であったのか!!
証明しております。

また、この高校の”ラグビー部”は九州地方では最も長い歴史のある学校のようで、全国大会の
常連校であり、以前に全国大会”最多出場校”として表彰された実績があるそうです。

なので”超難関校”ではあるものの”名門ラグビー部”に入部したい思いが相当強かったことから
“猛勉強”してこの学校への進学を叶えたのでしょう。

ちなみにラグビー部所属の卒業生として日本代表でもご活躍された「森 重隆」選手がいます。

ラグビー部に入部後、直ぐに才能は開花し始め一年生の時からチームの”主力”選手として大会に
出場し実績を積んで行きます。

しかし二年生頃からは”怪我”が目立つようになり始め、両足”膝”の「靭帯を断裂」する大怪我に
見舞われ、中々実力が発揮できない時期がありました。

その際、親身に治療を行ってくれた”整形外科”の先生が居たらしく後に自身が「医師」を目指す
きっかけとなったのが、その先生に対する”憧れ”からだと語っております。

ちなみにこの「親身に治療を行った医師」とは福岡市内にある”スポーツクリニック”の「まえだ
整形外科」の院長であります「前田朗」医師で、”両膝手術”の治療を行い福岡堅樹選手の”足”を
支えてくれてたそうです。

高校三年生になっても”怪我”に悩まされていたそうですが、チームでは”副キャプテン”を任され
第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し、夢の舞台”花園競技場”でプレーを
経験したそうです。

高校ご卒業が近づき、二年生の頃に”医師”になることを志していたことから「医学部」のある
大学に進むことを望んでいたそうで、同県の”福岡大学”を第一志望として入試を受けました。

しかし”不合格”に終わり、その年は一浪することに決め翌年の入試を待つ事としたようです。

そして翌年の入試時期に入り、もちろん”一時試験”に臨んだのは”福岡大学”でしたが残念ながら
不合格!、さらに”二次”でも同大学を選択することも出来ましたが諦めたらしく別の大学への
入試を希望したそうです。

そこで「”医学部”があり”ラグビー部”が強い大学」を選択した結果、茨城県つくば市にある
「筑波大学」の”医学群”を選んだそうです。

ところが”医学群の学類”でも医師になるための「医学類(6年制)」の偏差値は67以上なので
“不合格”になる確率が高く親の”経済的負担”を避けるため「医師」を諦めラグビーに専念すると
決めて、同大学の”情報学群情報科学類”を受けて見事「合格」を果たしました。

大学生活が始まり念願のラグビー部に入ると直ぐに力を発揮し、一年生なのにレギュラーに
抜擢され”大学ラグビーデビュー”を果たした”関東大学対抗戦”では日本体育大学を相手に
“俊足”を生かしたトライを何本も決めチームの勝利に貢献しておりました。

その後も”レギュラー”に定着し活躍すると「帝京大学や早稲田大学・明治大学・青山学院」など
“強豪校”が揃った関東大学ラグビー対抗戦”グループA”で筑波大学ラグビー部初となる念願の
「優勝」を果たし、チームの勝利に大きく貢献しました。

その活躍が”日本ラグビー”の関係者からも注目されるようになると、自身大学二年生の時に
「日本代表」選手に”初選出”されました。

 

引用元【インスタグラム(kenki11)】

 

2015年の大学四年生の時に第51回全国大学選手権で、2013年に続いて”大会準優勝”に
大きく貢献し、さらに同年8月に開催された「ラグビーワールドカップ2015」の日本代表に
抜擢されました。

この時のワールドカップで強豪国の「南アフリカ」に”衝撃的”な勝利を収め、日本サッカー界の
歴史に新たな1ページが加わりました。

また福岡堅樹選手の知名度を大きく広げた大会にもなり、さらに世界のラグビーファン達から
日本ラグビーの”ウイング”として注目されるようになって行きます。

 

引用元【ツイッター(Nadeshiko.Football)】

 

大学を無事にご卒業されると、日本ラグビーのトップリーグに所属するチーム「パナソニック
ワイルドナイツ」に入団しポジション”ウイング”で主力選手として活躍し始めます。

またその年の7月にブラジルで開催された”リオデジャネイロオリンピック”の7人制ラグビーの
“日本代表”に選出されました。

さらに同年11月にはラグビーの”国際リーグ戦”として有名な”スーパーラグビー”に加盟している
日本のチーム「サンウルブズ」にも入団しポジション「ウイング(WTB)」でご活躍されています。

なので”福岡堅樹”選手にとって”2016年度”は相当「忙しかったシーズン」なのでしょう!!

その後、両チームで活躍しながら今に至っております。

 

スポンサードリンク

 

◇ 福岡堅樹選手が怪我から復帰し日本大会で大活躍!!

 

福岡堅樹選手は”ラグビーワールドカップ2019日本大会”において初戦の”ロシア戦”に残念ながら
出場することが出来ませんでした。

その理由として、ワールドカップに向けて行われた壮行試合”南アフリカ代表戦”で痛恨の負傷(右ふくらはぎ肉離れ)を負い、全治4週間の怪我に見舞われました。

そのため時戦の”アイルランド戦”にギリギリ間に合うか?どうか?分からない状態に落ちり、
日本ラグビーの”羽が折れた”状態での戦いが余儀なくされたのです。

ワールドカップが始まる直線に”壮行イベント”などが催されたそうですが、そこには姿を見せず、
同じ様に”南アフリカ戦”で右肩を怪我したFW”アマナキ・レレィ・マフィ”選手も姿を見せず
同じ病院で治療しているのか?病室らしき部屋で二人して撮った写真をマフィ選手のインスタに
アップされておりました。

 

引用元【インスタグラム(naki_mafi)】

 

“表情”を見る限り二人とも”元気そう”な様子に見られたので次戦の”アイルランド戦”に間に合う
“期待”が「関係者」の間で持たれていたそうです。

そして案の定”ロシア戦”には出れませんでしたが、なんとか”アイルランド戦”には間に合い、
“先発”ではありませんでしたがグランドに足を踏み入れ”戦局”を見守っておりました。

そして途中出場し”後半戦”の「18分」見事な逆転トライを決めチーム内に”勝利ムード”が
漂い始め、勢いそのままに勝利し「大金星」に大きく”貢献”されました。

怪我の状態が完全に”完治”したのか?定かではありませんが、試合に復帰したのは間違いなく
自慢の”俊足”も披露されていたので、今後の活躍がより一層!期待されるところです。

 

スポンサードリンク

 

◇ 福岡堅樹選手が引退?

 

実は福岡堅樹選手!!2020年に日本で開催される「東京オリンピック」を最後に現役を
「引退」し、むかし一度”志した”「医師」になることを2019年度から公言しております。

そのため東京オリンピックで現役を引退後、また「医学部」を目指すそうです。

ただ日本「代表選手」に選ばれるか?まだ決まっておりませんので、もし選ばれなければ
その時点から所属している”国内のチーム”や”海外の日本チーム”から退団する可能性も高く
早い段階から”大学医学部”の入試に向けて取り込む事と思われます。

何故なら年齢的にも”20代後半”で、しかも”学問”から遠ざかっていた時間が長く、もし夢
(医師)を叶えるとしても数年間の”学び”も必要で、現実的には非常に「厳しい道のりを歩む」
ことになると容易に想像がつきます。

しかし以前、福岡堅樹選手はこのように↓↓↓に語っておりました。

僕は、筑波大学の情報学群に入学し、ラグビー部で活躍する道を選びました。しかし、『医師になる夢』をあきらめたわけではありません。まだ先のことになりますが、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後、もう一度医学部へ入学し直して医学の道を目指したいと考えています
引用元【サイト(月刊事業構想オンライン)】

 

“医師”に成る事に対する「思い」は誰よりも”強く持っている”ことを語っていたようです。

福岡堅樹選手が”医師”を志したのは高校時代にお世話になった「まえだ整形外科」の院長
「前田朗」医師の影響が大きかった事は確かですが、それよりも”祖父”が「開業医」で”父親”が
「歯科医師」という”医療従事者”の家庭に生まれた「DNA」が、医師を目指す原動力に
なっているのでは?と私は思いました。

是非とも憧れの”前田朗”院長のような”素晴らしい医師”になって頂くよう願っております。

 

 

■ 福岡堅樹プロフィール

本名
福岡堅樹
読み
ふくおか けんき
生年月日
1992年9月7日
仕事
ラグビー選手
出身地
福岡県
所属事務所
パナソニック ワイルドナイツ
血液型
A型

 

 

スポンサードリンク