日本を代表する「歌手」と言っても過言ではない「オバサンアイドル」として人気絶好調の
「森昌子」さんが2019年度をもって「引退」することは広く知られておりますが、
芸能界引退が近づくにつれ「引退を惜しむ人」「悲しむ人」「撤回を望む人」など、特に
熱狂的なファンや最近テレビで「モノマネ名人」だったことを知った人達から大きく注目が
集まるようになっているそうです。

そこで現役中の今だからこそ今一度「森昌子」さんに注目してみました。.

 

引用元【インスタグラム(hiro.6717)】

 

森昌子さんは「歌手」として芸能界デビューを果たしましたが後に「演歌歌手」に転向し
ご活躍されました。

また「持ち歌」で1983年にリリースした「越冬つばめ」は日本人誰もの「心」をつかみ
自身最大のヒット曲となり、これを機に日本レコード大賞で「最優秀歌唱賞」を受賞されたり
NHK紅白歌合戦への連続出場、さらに「女優」としてもご活躍されるようになります。

更に1986年には大物演歌歌手で最近では「作曲家」もなさっている「森進一」氏と結婚し
当時はダブル「森」として世間から注目され、また結婚前から苗字が同じであった事から
結婚後も変える必要が無い事を「羨む人々」が多くいたことを記憶しております。

森昌子さんは1958年生まれの60歳(2019年)で「栃木県宇都宮市」のご出身です。

「宇都宮市」は比較的”田舎な市”であり実家は「兼業農家」を営んでいたようで、両親は
「サラリーマン」をしながら一家を支えていたそうです。

家族が「音楽好きファミーリー」であった事で幼少期から「歌唱」に積極的に取り組み
させられていたそうです。

小学生時代に「東京」へ引っ越し学生時代を過ごしていたそうですが「人見知り」が激しく
なかなか友達に恵まれず「イジメ」を受けることがあったそうで、親を騙して「学校に行く
ふり」をしつつ、実はサボって近所で時間潰しをしていたそうです。

東京に移り住んで通っていた「港区立御田小学校」を卒業すると同港区にある「港区立三田
中学校」へ進学し、その後「東京品川区」にある「小野学園女子高等学校」へ入学しています。

しかし芸能界入りが決まってからは芸能人でお馴染みの「堀越高等学校」へと編入し1977年
無事に卒業を果たしております。

卒業生の同期生内には歌手の「岩崎宏美」さん、元アイドルで歌手の「岡田奈々」さん、女優の
「池上季実子」さん達がいるそうです。

 

引用元【インスタグラム(hiromiiwasaki_official)】

 

芸能界入りは1971年(昭和46年)の10月に日本テレビ系列で放送されていた番組「スター
誕生」に出演し、当時13歳ながら番組初となる「初代グランドチャンピオン」に輝き、多数の
大手芸能プロダクションからオファーされました。

しかし父親が芸能界入りすることに猛反対で、大手芸能プロダクションが自宅にまで足を運び
森昌子さんを芸能界入りするよう「説得」はするものの猛反発によって失敗していたそうです。

また肝心の森昌子さんも元から芸能人になるつもりはなく「スター誕生」へ応募してのは自身の
「意向」ではなく親戚の祖母が勝手に申し込み、オーディション時は「洋服を買ってあげる」と
嘘をついて参加させたそうです。

ただご自宅が「貧乏」だった事と、母親が「病弱」だったことから自ら働かなくてはいけない
事情もあったことから、森昌子さん自ら父親を説得して芸能界入りを果たしました。

芸能界入りを決断した後「文芸両道」を約束していた芸能プロダクション大手の「ホリプロ」へ
所属することを決め、そこから本格的に芸能界デビューを果たします。

歌手としてデビューした後は直ぐに才能が開花し1972年に楽曲「せんせい」で自身初となる
歌手デビューを果たします。

当時「可愛らしさ」と「女学生っぽい」イメージが強かった事で「あなたのクラスメート」等と
呼ばれるようになり「幅広い年代」から親しまれていました。

また同時期に芸能界デビューを果たしていた「山口百恵」さん「桜田淳子」さんが居たことで
「花の中三トリオ」等と呼ばれ広く世間から認知されるようになって行きます。

 

引用元【インスタグラム(hiromi.g0316)】

 

翌年の1973年に「花の中三人トリオ」として自身ら初となる「NHK紅白歌合戦」へ
「初出場」を果たし、これを機に全国区へと成長して行きます。

ちなみに、この時の森昌子さんは「15歳」での出場だった事で、当時は「最年少出場」を
果たしたことで別の意味でも注目を浴びておりました。

 

引用元【インスタグラム(manedaseiko)】

 

その後「三名(トリオ)」共に人気が上昇して行く中、森昌子さんは劇場映画「男じゃないか・
闘志満々」への出演が決まり「女優」として映画初デビューを飾りました。

また元から「歌唱」が得意で他の歌手の「ものまね」が趣味だったことが高じて、当時も今も
人気が高い「ものまねテレビ番組」へ出場するようになり、フジテレビ系列で放送されている
お馴染みの「ものまね王座決定戦」へ出場すると初代チャンピオンに輝きました。

無事に高校(堀越学園)を卒業し、同年に歌謡歌手として活躍する中で、理由は分かりませんが
ある日から「演歌歌手」へと転向し、今までの「ポップスや女学生」のイメージから一転
「着物が似合う日本女性」へと変貌して行きました。

その後、多数の楽曲をリリースし「演歌人」として演歌界からも認められる存在に育ち、
1981年にリリースした楽曲「哀しみ本線日本海(37枚目)」では同年年末に行われた
第32回NHK紅白歌合戦への出場は基より、自身初の「大トリ」の大役を果たしました。

 

 

 

そして1983年にリリースした楽曲「越冬つばめ(41枚目)」では自身最大のヒット曲であり
更にこの曲を歌う度に感度のあまり感極まって「涙を流すシーン」が多くなり、それも話題の
一つであったことから、森昌子さんの現役を知る世代の日本国民なら「誰もが知る曲」として
今だに人気が絶えない「名曲」として広く伝えられています。

 

 

 

「越冬つばめ」で一挙に人気を博すとテレビドラマ・バラエティー番組にも出演するようになり
お茶の間からも人気が出始め、今で言うところの「ブレーク」を果たしました。

その後は「演歌人」としてNHK紅白歌合戦への出場が「常連」になったり、民放の番組へも
多数出演するようになったり、更に舞台・映画などでもご活躍し芸能人「森昌子」さんとして
確固たるポジションを築いて行きました。

しかし当時同じように男性演歌歌手として人気を博していた「森進一」氏とご自身28歳の時に
ご結婚をされました。

ご結婚後は「家庭に入り」芸能界や公の場からは姿を消し、更に楽曲もリリースすることなく
静かにフェードアウトして行きました。

ところが、ご結婚「19年」後頃に久しぶりに「森昌子」さんの名前を聞いたと思ったら病院へ
「緊急搬送」されたとの情報を知り「薬物中毒」による入院をされたと話題に上がりました。

その原因は「パニック障害」によるものだと広く伝えられ、その要因とされたのが夫
「森進一」氏との不仲説ではないか?と連日ワイドショーなどで伝えられうようになると、
挙句の果てに「離婚騒動」へと発展して行きました。

結局二人は2005年に「19年間の結婚生活」にピリオドを打ち、離婚することを決断します。

離婚の際、3人の息子を授かっていたのですが教育権は全て森昌子さんが持ち、親権は長男が
森昌子さん、次男と三男は森進一氏が持つことで決着したそうです。

この時の「約束事」として養育費は森進一氏が持ち、一人あたり「13万円」計39万円を
毎月払うことを「同意」したとされていました。

しかしこの情報は「嘘」であった可能性が高いと伝えられ、現実には慰謝料「7億5000万円」が
請求さ巨額の財産分与で争っていた!と後に分かりました。

その後どのように「解決」したのか?は正確には分かっておりませんが「離婚」したのは
事実であり、当時「森進一」氏がC型肝炎を患い闘病していたことでお金の流れがどのように
動いたのか?も公にはされておりません。

ただ「請求額」が払えなくなったのか?あるいは森昌子さんが諦めたのか?は分かりませんが、
2006年から森昌子さんは「芸能界へ復帰」し、当時お世話になっていた大手芸能事務所
「ホリプロ」へも復帰を果たし「歌手」として公の場に立つことを決断したそうです。

元から芸能界を「寿引退」であった事から芸能界復帰を願ていたファンが多数おり、更に母親に
なった森昌子さんに興味を持っていた音楽関係者も多数いたので、芸能界復帰に関しては
何の障害も無くスムーズに果たしたようです。

その後は「あらゆるものから解放されたのか?」以前よりも芸能活動を盛んに行うようになり、
NHK系列で放送されている人気歌唱番組「歌唱コンサート」への出演を皮切りにテレビ界へも
復帰を果たします。

また自身がこれまで積み重ねてきた「栄光と挫折?」等を披露するようになると各テレビ局から
引っ張りダコとなって歌番組~バラエティー番組に至るまで、幅広いジャンルでマルチに
ご活躍するようになって行きました。

ただご年齢相当な「病」を時折り発症することもあり2007年には「急性肺炎」2009年は
「子宮筋腫」で手術を受け、その後は更年期障害・貧血・鬱などの症状を訴えるようになります。

しかし「歌手」としてのプライドやたくさんのファンが居たことで芸能活動を辞めることなく
続け、2016年には芸能生活45周年を迎え、記念アルバムやシングルをリリースして、
歌手「森昌子」さんの健在ぶりをアピールしておりました。

そして2019年の今年!年内限りで芸能界を引退することを正式に発表し、最後の出演!と
ばかりに各テレビ局から引っ張りダコとなり忙しい毎日を送りながら今に至っております。

 

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◇ 森昌子さんには息子が3人いる?

 

森昌子さんは1986年に男性演歌歌手の「森進一」氏と結婚され、その後離婚しております。

その時に授かった子供が3名おり、いずれも「男児」でした↓↓↓

・長男 森内貴寛 氏
・次男 森内智寛 氏
・三男 森内寛樹 氏

 

長男の「森内貴寛」氏は現在「ONE OK ROCK」というバンドでボーカリストとして活動しており
芸名「taka」と名乗っているそうです。

三兄弟の中でも相当「イケメン」で、以前男性アイドル事務所でお馴染みの「ジャニーズ
事務所」へ所属していたとの噂もあります。

学生時代は「慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部」で学んでいたそうですが、中高部の頃に
ジャニーズに所属していたそうです。

その当時はまだ人気がなくジャニーズのファン内程度しか知名度がなかった「NEWS」の
メンバーでもあったそうですが、僅か三か月程で学業に専念するためジャニーズを後にした
そうです。

後にロックバンドを結成する程の人物なので「アイドル」の世界では「居心地が悪かった」と
容易に想像がつきますね。

なのでせっかく入ったジャニーズですが僅か三か月程で退所したようです。

しかし「学業に専念する」として同事務所を退所したものの、今度はバンドに専念するとして
高校を中退しております。

その点の「矛盾」にはツッコミどころ満載ですが、ま~この辺は「若気の至り」ということで
置いといて・・・?

何はともあれ現在はご自身が立ち上げたロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストとして
活動し、以前行われた「武道館ライブ」が成功で終わったそうなので、芸能人としてのDNAは
「親譲り」なはずなので、益々のご活躍が期待できそうですね!

 

引用元【インスタグラム(10969taka)】

 

続いて次男の「森内智寛」氏はテレビ東京の社員らしく一般サラリーマンとしてADの仕事を
なさっているそうです。

「芸能一家」では珍しく表舞台ではなく「裏方」での仕事を熟しているようですね。

さすがに「3兄弟」のしかもすべて「男児」となれば、全員が芸能界入りするのは
難しかったのでしょうか?

幼い頃から兄弟内でも「真面目な性格」だったそうで、長男と同じく「慶應義塾校」へ入学し
一貫校だったことから幼稚園~大学まで至るに「エスカレーター」式で進学し、学業に
専念していたそうです。

大学卒業後は「テレビ東京」に入社しておりますが、当時の各テレビ放送局への入社は
倍率が非常に高く相当なエリートでなければ入れないと言われていた時代でした。

なのでその当時にテレビ局に入れた次男「森内智寛」氏は相当真面目で人間性も素晴らしい
人物であることが分かります。

テレビ東京ではADを担当しているようなので、いずれは兄弟の「演出」にも参加する機会が
訪れるかも?ですよね!

最後に三男の「森内寛樹」氏ですが、長男「森内貴寛」氏と同じく音楽活動をされているらしく
ロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカルとしてご活躍されているそうです。

更に長男同様に一時期「ジャニーズ事務所」に所属していた経験があり、当時8歳だったので
最年少組で活動していた「ジャニーズJr」の一員であったそうです。

それを経て、自身がメインとして活動しているロックグループ「MY FIRST STORY」を2011年
8月に結成したそうです。

芸能夫婦を譲り受け「イケメン」であることは間違いありませんが、兄弟内でも「歌」が非常に
上手く元から「ボーカリスト」としての才能があり、歌手であるご両親のDNAを一番多く
受け継いだのではないでしょうか?

「MY FIRST STORY」でデビュー後は「瞬く間」に人気に火が付きファン層の拡大が続いて
いるそうなので近い将来「メジャー」デビュー果たすのは時間の問題と言われているそうです。

現在は「ヒロ」の愛称で親しまれるようになり、兄同様に2016年に開催した「武道館」での
ワンマンライブを見事成功させたそうです。

こちらも今後期待の持てるバンドですね♪

 

引用元【インスタグラム(10969luthfia)】

 

森昌子さんは以前出演していたテレビ番組で自身が「歌手」であったことを隠すため幼児期から
「子守歌」など歌わずに育てていたらしく、徹底して「歌手」であったことを隠し通して
いたそうです。

そのため、現役時代の2001年に行われたNHK紅白歌合戦への出演の際は「リハーサル」で
調整を行わないまま、当日出演間際の時間に息子達を騙して「買い物に行く」とだけ伝え、
ブッツケ本番へと臨んだそうです。

なので多分、自身が幼い時に「芸能界入り」は望んでいなかったように、子供達が芸能界入り
することも望んでいなかったのだから、自身が「歌手」であることを徹底的に隠していたと
私は感じました。

ところが、その思いとは裏腹に?兄弟全員が芸能界入り、あるいは芸能関係者となって
ご活躍されているのが事実ですよね♪

なのであらゆる意味で「疲れ果て」、あるいは芸能活動は子供達に委ねた!との思いもあり
芸能界から一線を引くことを決断したと私は思いました。

 

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◇ 森昌子さんが芸能界を引退した理由とは?

 

森昌子さんは2019年3月に「年内限り」で芸能界から引退することを自身の公式サイトで
正式に発表しました。


引用元【サイト(森昌子公式ホームページ)】

 

このコメントには「引退理由」も書かれており「還暦を迎えるにあたり人生の残された時間を
具体的に考え始めた時に、もう少し穏やかな時間の中で芸能活動以外の事に時間を使って
人生を充実させたいと思うようになりました」とのことです。

つまり、残り短い人生を何の縛りも無く「自由に過ごしたい」との思いが芽生えたからだと
思います。

それが何よりも本当の「引退理由」ではないか?と私は思いました。

別れた元「旦那」の事はさておき、三人居る息子達も無事に社会人となり芸能界、あるいは
芸能関係者として立派に活動し、自らの家庭を持つだけに成長して安心して母親の役目を終え
無理して働く必要がない環境になったのですから、自身の将来のことを見つめ直し芸能界から
離れることを決意したと私は感じました。

ちなみに、今回の「引退」を盟友であった「花の中三トリオ」の二人「山口百恵」さん
「桜田淳子」さんに伝えたのか?と言うと「桜田淳子」さんにはメールをしたらしく、
返信で「これからいっぱい時間ができるから色んな所に遊びに行こうね!」とのお誘いメールが
届いたそうです。

それに対し森昌子さんも「そうだね!誘ってね!!」と返信したらしく、今でも長い付き合いが
あることを紹介しておりました。

ところで、引退を迎えるに当たって「最後のステージ」について気になるところですが、普通で
考えれば「NHK紅白歌合戦」が妥当だと思うものですが、どうもそれは違っているようで、
今行っている最後の全国ツアー「森昌子(祝)還暦コンサート~爆笑!コントで綴る昭和歌謡
パート3~」の12月25日に予定されている千秋楽公演「東京公演」が「芸能界引退」の
ラストステージになるそうです。

なのでこの公演チケットは既に「SOLDOUT」しているそうで、追加チケットの販売が
熱烈なファン達や一般ファンから多数要望されているそうです。

芸能人の「節目」として利用されている「NHK紅白歌合戦」ですが、それを使わずに自らの
「公演」で最後を迎えさせるところなど、まさに森昌子さんらしい考え方だと
痛感させられました。最後まで流石です!

ちなみに引退後の紅白歌合戦は自宅でゆっくり視聴するそうです。

 

 

■ 森昌子プロフィール

本名
森田 昌子
読み
もりた まさこ
生年月日
1958年10月13日
仕事
歌手・女優
出身地
栃木県宇都宮
所属事務所
おんがく工房
血液型
A型

 

 

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