日本で活躍している”個性派俳優”で、テレビ朝日系列で放送されたテレビドラマ「臨場」で主演を努め、大きく”知名度”を上げた俳優の「内野聖陽」氏。

以前!結婚をされた”元宝塚女優”でトップスターの「一路真輝さん」との離婚後、しばらくは「男女の浮いた話」が遠ざかっておりましたが・・・

なにやら?この度!久々の「恋バナ」が伝えられたようで、「親も公認の仲」として話題を呼んでいるご様子!

テレビドラマ「臨場」では、”独特”の演技力で注目を集め、「組織には染まらない姿」が【まさに!】現在「支流」のノンフィクションドラマとして人気を集め、”脇役”で助演を努めた女優の「松下由樹」さんとの”絶妙”なコンビぶり!で、一躍!人気を集めました。

良い機会なので、人気上昇中の俳優「内野聖陽」氏の”恋愛事情”について紐解いて行きます。


引用元【ツイッター(映画.com )】



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 内野聖陽氏の小中高校は
・ 内野聖陽氏の初恋相手は一路真輝だが離婚
・ 内野聖陽氏の熱愛相手は?
・ 経歴や実績
・ プロフィールのご紹介!



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◇ 内野聖陽氏の小中高校は


内野聖陽氏は1968年9月16日生まれの51歳(2020年)で、ご出身は「神奈川県」です。

ご出身の”神奈川県”にあるご自宅で、ご両親と姉の五人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に有る学校に通うのが一般なので、内野聖陽氏も(神奈川県)内の小学校・中学校に通っていたと”推測”できます。

但し、幼少期~高校時代迄の情報が乏しいので、詳しい事が分かっておりません。

ご家族は”ご両親”と”二人の姉”がいて、ご自身は「末っ子の長男」として生まれ育ったご様子!

今の”姿”からは想像も付きませんが、幼い頃は「病弱な子供」であったらしく!特に「気管喘息持ち」なことから、家の中で過ごすことが多かったようです。

そのため?非常に「引っ込み思案の性格」で、人前に出るのが”苦手な子供”であった模様です。

また”ご実家”は、古くからある”曹洞宗”の「お寺」との事なので、お寺の「長男(跡継ぎ)」として生まれ育ったのです。

非常に「体が弱い子」であったことから、父親が自宅の庭に”鉄棒”を作り、毎日「懸垂をさせていた」そうです。

お寺の”一人息子”として育った小学時代を終えると、中学校は東京都世田谷にある”世田谷学園中学校・高等学校”にご入学されました。

ご自宅が”神奈川県横浜市”にあるのにも関わらず!この中学校を選んだのは、学園の”創立者”が「曹洞宗」なので、自宅の”お寺”と何かしらの「ご縁(つながり)」があるからです。

“体が弱い少年”でしたが、中学生になると「バレーボール部」に入部され、部活動を始めました。

また、学園が”男女別学”の「男子校」であったことから、”男臭いクラス”で過ごしていたことが幸いし!【さらに!】”部活動”で体を鍛えていたことから、小学生時代とは比べモノにならないほどの「立派な男子生徒」に成長したそうです。

バレーボール部で青春の汗を流した中学時代を終えると、高校も系列校の”世田谷学園高等学校”にご入学されました。

この高校の課程は”全日制”の「男女別学校(男子校)」で、”学科”は「普通科と専修科」があります。

また、”通学期”も一般的な「三学期制」を導入されているご様子!

この学園は「中高一貫校」であるため、”中学校”にさえ!入学できれば高校は”内部審査基準”のみで「エスカレーター式」で進学(進級)することができます。

【しかも!】内野聖陽氏の場合!「曹洞宗の関係者」であることから、スムーズに進学することが出来たのでしょう。

この学校の”特徴”として、非常に「スポーツが盛んな高校」として東京都では有名で、”世田谷学園”と言えば!1992年にバルセロナで開催されたオリンピックの”柔道男子71kg級”で「ゴールドメダリスト」に輝いた柔道家の「古賀稔彦」氏が有名ですね。

その他にも、たくさんのオリンピックメダリストを輩出している高等学校です。

内野聖陽氏は高校時代も「バレーボール部」で活動されておりました。
また、意外にも「真面目(勤勉)な生徒」であったらしく、男子校で”体育会系”が集まっていたクラスなだけに!周りがうるさい時は”耳栓”をして「自分の勉強に励んでいた」そうです。

成績が【かなり!】「優秀な生徒」であったことから、高校三年生になると「進学(大学受験)」を狙い出します。

すると!東京六大学の名門校「早稲田大学」に挑戦されましたが、敢え無く”失敗”に終わり!一年間の「浪人生活」を送る事となります。

しかし、翌年には!再度挑戦した”早稲田大学”の「政治経済学部」に見事!”合格”を果たし、晴れて!大学生となりました。

大学生になると、”運動系”の活動は控えるようになりつつも”文化系”のサークル活動を盛んにされていたようで「英語サークル」に所属して活動をされていたそうです。

また、”舞台”にも興味を示していたことから、その”英語力”を生かした「英語劇」にも尽力されていたそうで、そこから「俳優を志す」ようになって行きます。

なので、大学に通いながら「舞台の登竜門」としてお馴染みの「文学座」に入団されて、本格的に「俳優の道」へと進む事となります。

【ところが!】自家(お寺)では、【よもや!】「俳優業」を目指すとは誰もが思っていなかったことから、”芸能界”入に対して「猛反発を食らった」そうです。

それも!そのはず!!内野聖陽氏は「一男二女」の”長男”であり【しかも!】幼い頃から「跡継ぎ」として期待されて来たことから「僧侶の資格」も取得済みで【さらに!】”経を唱える”レベルであったことから、誰もが大学卒業後は「お寺(自宅)の後を継ぐモノ」と思っていたからです。

そのため、大学をご卒業後は「俳優の道」に専念されたことから、”母親”とは「疎遠状態」に陥り、しばらくは連絡すら取らないでいたそうです。

しかし、現在の「ご実家の状況」は分かりませんが”母親”とは仲直りを果たし、共に生活をしながら「仲良く暮らしている」そうです。


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◇ 内野聖陽氏の初恋相手は一路真輝だが離婚


内野聖陽氏は、2006年5月に女優の「一路真輝」さんと”婚約”をされ、その後「妊娠」が発覚した上で同年7月に入籍(結婚)されました。


引用元【ツイッター(Kou )】

二人の”馴れ初め”は、2000年頃から上演がスタートしたミュージカル「エリザベート」で”共演”されたことがキッカケであり、内野聖陽氏が担当した”帝王”役の「嫁役」を演じていたのが「一路真輝さん」であり、”演劇”の世界を飛び越えて!現実の「夫婦」となったのです。

その時のミュージカルは大好評であったことから”長年”に渡って続き、二人が演じた”夫婦役”が【まさに!】「絶妙なコンビぶり」を披露していたことから、周りの評価も高く!その当時から「本当の夫婦に見える」として、注目を集めておりました。

それも!そのはず!!「硬派」で知られている”内野聖陽”氏だけに、一路真輝さんを「本気で愛した女性」の”意味”では「初恋相手の相手」と思われてもおかしくは無く!一路真輝さんに対しての”結婚願望”を、相当!大きく持っていたに間違いありません。

そのため「恋心を頂いてから」は、”関係者”や”メディア”を通して、一路真輝さんへの「愛情」を示すようになったらしく!「猛烈なアプローチの末」に、結婚に辿り着いた模様です。

【ところが!】”結婚生活”がスタートすると、内野聖陽氏が予想もしていなかった!一路真輝さんとの「プライベートの愛称」が【かなり!】ミスマッチしていたようで、一路真輝さんが”仕事(俳優業)”にも「口を挟む」ことが度々あったことから「喧嘩が絶えない夫婦」となったそうです。

そのため、結婚五年後の2011年に!敢え無く”離婚”をされました。


引用元【ツイッター(スポーツ報知 )】

元々!一路真輝さんの”性格”と言えば「宝塚歌劇団の出身」でもあり【かなり!】”強気”な気質で【しかも!】”妥協”を許さない「B型」でもあることから、普段から「口数の少ない内野聖陽氏」であったことから”受け身”に徹する機会が多かった!と予想されますので【ついに!】我慢の限界が訪れたのでしょう。

その意味では、結婚生活が”五年間”も続いたのは、内野聖陽氏の「内気な気質(性格)のお陰」と呼べそうで、一路真輝さんから受けたであろう?「束縛や拘束」に耐えしのいだのは【まさに!】「優しい性格の現われ」なのでしょう。

なので、もし”芸能人”にアリガチな「離婚調停」になれば、内野聖陽氏の方が「有利に働く」可能性が高いですね。

但し、二人の間には「結婚前(入籍前)」に授かった”子供(女児)”・・・つまり「できちゃった婚」なのですが(笑;)、氏名が「里緒(りお)さん」と呼ばれる女の子が居るので、今後は「親権問題で揉める」ことでしょう。

追記)離婚後は母親の一路真輝さんが「親権を持った」そうで、現在では二十代の可愛らしい女性に成長されて居るそうです。

両親が”離婚”した後も、”子供さん(里緒(りお)” との「コミュニケーション」は続けていたらしく、学校の行事などには元父親の内野聖陽氏が積極的に参加されていたそうです。

なので、”子供さん(里緒(りお)”にとっては!両親と”離れ離れ”となっていても、親からの「愛情は途切れること無く受けていた」ご様子で、元父親の内野聖陽氏も昔と変わらずに今も「陰ながら応援し続けている」ことでしょう。

ただ、その二人の”姿”を見ていた周りの関係者からは、二人がまた”復縁”するのでは?等と呼ばれるほどの「仲の良さ」を見せていたそうです。

【やはり!】「別れてみて初めて気付くこと」が、結構!あったのでしょう。


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◇ 内野聖陽氏の熱愛相手は?


内野聖陽氏は、元妻の「一路真輝さん」と2011年に離婚をされました。

「硬派が魅力」の内野聖陽氏であり、”子供”も授かっていたことから”離婚後”は!しばらくの間「女性関係とは無関係な気配」を見せておりましたが、ようやく(笑;)2018年頃から「新たな恋人」が見つかった!とのことです。

そのお相手とは!舞台女優の「小山あずささん」で、意外にも!内野聖陽氏の「付き人」を行っていた女性らしく、普段から「一緒に居る機会が多かった」相手なのです。


引用元【ツイッター(ライブドアニュース )】

つまり「身近な存在の女性に手を出した」ことに成り兼ねませんし、いつ頃から”付き人”を行っていたのか?は定かでありませんが、もしかすると!?元妻の「一路真輝さん」と”面識”がある可能性が否めないのです。

また、あまりにも「身近な存在」であったことから【まさか!】”恋人”とは!と、誰にも気づかれずに「愛を育てること」が出来たのでしょう。

・・・とはいっても!”小山あずさ”さんとは年齢差が「17歳」も離れており、言わば「オジサンレベルの彼氏」となるのですが、それでも相当!”仲の良さ”を見せ付けているご様子なので「見た目は親子!中見は恋人?」的な”付き合い方”を、されているのでそうか?


引用元【ツイッター(融合事務所【公式】 )】

今では、内野聖陽氏の”自宅マンション”へ頻繁に訪れて「手料理を振る舞っている」らしく【さらに!】その”自宅マンション”から、堂々と出入りをされて「自転車で買い物に行く気軽さ」を、何度も!マスコミから”チャッチ”されているそうです。

【しかも!】二人の関係を内野聖陽氏の”親”が「公認済み」とのことなので、”結婚”に向けた「前向きな交際」をされているようです。

なぜ!親(母親)が既に、”二人”の関係を認めているのか?と言うと【実は!】”80代”と呼ばれている内野聖陽氏の親(母親)と「同居している」ためで、否応なしに!小山あずささん”が自宅に訪問する度に、親(母親)と「顔を合わせるから」なのです。

“年の差”はあるモノの、両名共に「大人同士」なので今後の”展開”が待ち望まれるところです。


引用元【インスタグラム(mahononami)】


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◇ 内野聖陽氏の経歴や実績


◇ テレビドラマ

・ 1993年に、NHK系列で放送された番組”街角”に出演され「テレビドラマデビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(萱原里砂 )】

◇ 舞台

・ 1994年に、”演劇ぶっく”によって公開された舞台”女たちの十二夜”に出演され「舞台デビュー」を飾ります。

◇ 映画

・ 1996年に、”日本ヘラルド映画”によって公開された映画”午後の遺言状”に出演され「映画デビュー」を飾ります。

◇ ラジオ

・ 1996年に、”NHK”局が放送した番組”モンテ・クリスト伯”に出演され「ラジオデビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(mai )】

◇ CM

・ 2009年に、”みずほ証券”が手がけた企業CM”笑顔の家族 スマイル”に出演され「CMデビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(でぐっちゃん@そろそろ痩せるはず )】

◇ アニメ映画

・ 2013年に、東宝系列で放送された番組”ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE”に出演され「アニメ映画デビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(シネマトゥデイ )】


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◇ 内野聖陽氏のプロフィール


本名
内野 聖陽
読み
うちの せいよう
生年月日
1968年9月16日
仕事
俳優、女優
出身地
神奈川県
所属事務所
無所属
血液型
AB型