日本の”名役者”の中でも、特に”個性派女優”として人気を集め、”演劇”以外にも!多くのバラエティー番組やトーク番組などの”メディア”にも出演されて、”奇人”だの”変人”だの!様々な「異名」を持つ女優の「室井滋」さん。

何やら?最近、世界中で猛威を振るっている”新型コロナウイルス”や、各地で発生する”巨大地震”!【さらに!】予想不可能な”悪天候”などの「予期せぬ事態」に備えて、”防災”の意識が高くなったことから!”避難場所(逃げ場)”の確保のために、”都内以外”にも「行きつけの場所」を作る努力をされていることを、明らかにされた模様です。

そのため、以前から「南海トラフ地震や首都直下地震」について興味を示していた室井滋さんが!京都大学大学院の教授である”地球科学の専門家”の「鎌田浩毅」さんと”対談の場”を設けたらしく、その様子が”ネットニュース”で流れ!注目を集めたご様子です。

室井滋と言えば、日本の女優さんの中でも!特に「ネコ好き」として有名ですが、”代表作ドラマ”の中には「やっぱり猫が好き」などがあり!”イザ(震災が発生)”となったら、恐らく!”自身”よりも「愛猫を守る行動」を取ると予想されますので!その意味でも、”専門家”との対談は「大きな意味があった」ことでしょう。

その気になる”防災意識”の高い「ネコ好き」の室井滋さんについて、紐解いて行きます。


引用元【インスタグラム(ginzamagazine)】



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 小中高校は
・ もたいまさことの出会い?
・ 未婚の夫や子供とは?
・ しげちゃん一座とは?
・ 経歴や実績[年代順]
・ プロフィール



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◇ 小中高校は


室井滋さんは1958年10月22日生まれの61歳(2020年)で、ご出身は「富山県滑川市」です。

ご出身の””にあるご自宅で、ご両親とご本人の三人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に有る学校に通うのが一般なので、室井滋さんも(富山県)内の小学校・中学校に通っていたと”推測”できます。

最新の情報では、小学校は地元のにある”滑川市立寺家小学校”にご入学されたと判明しております。

但し、幼少期~高校時代迄の情報が乏しいので!詳しい事が分かっておりません。

ご家族は”ご両親”と”ご本人”が居り、ご自身は「長女」として生まれ育ったご様子です。

ご自宅は、地元でも有数な”荒物問屋”を営んでいるらしく、”自営”が忙しかったことから!幼い頃から”親”には構われず「おばあちゃん子」として育ったご様子です。

その一方で、父親は”早稲田大学”のご出身で!将来は「作家」を目指していたそうです。

“荒物問屋”の「九代目跡継ぎ」として生まれたモノの、”人格”が非常に不真面目で!地元でも有名な”トラブルメーカー”として知られており、毎晩のように”酒”と”ギャンプル”で悪れていたそうです。

その後、”荒物問屋”を営んでいた「祖父が倒れた」関係で!一度は、”実家”の跡継ぎを目指しますが、結局!”事業”は「祖母」に投げつけて、自身は”高等学校”の「英語の教員」になったそうです。

室井滋さんは、幼少期から非常に”体”が弱く「小児結核」を経験され!”病院生活”が長かった時があるそうです。

但し、自宅で”荒物問屋”を営んでいたこともあり、”生活面”では【かなりの!】”裕福な家庭”に育ったらしく、”四歳”の頃から「ピアノ」のレッスンに通っていたそうです。

地元の”越中八尾”で、毎年行われている”お盆”のお祭り「おわら風の盆」には!”親戚”と一緒に参加していたそうです。

小学校高学年の時に、ご両親が「離婚」をされたことから!ご自身は”父親”に引き取られた形です。

なので、その後の”母親”の行方は分かっていないそうです。

また、学校の恒例行事「運動会」では!毎年、地元の”習慣”となっている踊り「ホタルイカ音頭」を!お遊戯変わりに踊っていたそうです。(笑;)




私生活では、”祖父”が捕まえた「ニワトリ」を目の前にして、”丸裸”のまま調理をし!そのまま食べさせられたそうです。

”ピアノ”のレッスンを小学六年生まで続けた小学時代を終えると、中学校も地元の富山県
滑川市にある”滑川市立滑川中学校”にご入学されました。

中学時代に入ると、”父子家庭”で育っていたことから!相変わらず「祖母と遊ぶ時間」が多く【さらに!】父親は仕事で忙しかったことから、ほとんど「遊んだ記憶が無い」そうです。

・・・とは言っても、祖母は”早寝”であり!”夜間”は一人で過ごして居たことから、自ら「映画や舞台」を見に行っていたそうです。

なので、その”時期”から徐々に!”役者”に「目覚め始めていた可能性」が否めません。

また、中学生時代は何度も!父親が”再婚”をするための「お見合いの席」に付き合わされ!義理の”母親候補”となる女性を目にしていたそうです。

ごく普通の中学時代を終えると、高校も地元の富山県にある”富山県立魚津高等学校”にご入学されました。

この高校の課程は”全日制”の「男女共学校」で、”学科”は「普通科」のみです。

また、”通学期”も一般的な「三学期制」を導入されているご様子!

高校時代に入ると、”思春期”を迎えたらしく!若干、”オカマ”の掛かった「日本史を担当する教員」が!室井滋さんに”悩み事(恋愛相談)”などを持ち掛けられる程に、成長されていたご様子です。

学校内の”運動部”は「陸上部」に入部していたらしく、一般的に”花形種目”と呼ばれている「短距離走(100m・200m・400m)」では無く、”跳躍競技”や”リレー”【さらに!】”ハードル”などが得意であったご様子です。

その意味では、現在の”お姿”からは想像が付きませんが!学生時代は【かなり!】「運動神経が良かった学生」と言えるのでしょう。

一方の”学園内”では「演劇」に興味があったらしく、高校で毎年催されている”文化祭”の時には、決まって”演劇”に参加されて、”演技”を披露することに「病みつき感を覚えてしまった」ことから!その時期から「女優に憧れ」を感じ始めていた模様です。

また、”家庭環境”では!父親にようやく”再婚相手”が決まり、”ママ母”との生活がスタートしたモノの「性格的に合わなかった」ことから、高校二年生の時に!約”一年間”の「生活を共した」だけで、また父親と”離婚”をしたそうです。

但し、離婚をした”理由”については!室井滋さんが”原因”であったのか?どうか?は、定かでありませんが、その時の”父親”は「酒に溺れる日々を続けていた」とのことなので、恐らく!それが”原因の元”で、離婚に発展したのでしょう。

高校の”ご卒業時期”を迎えると、”大学進学”を考え始めた頃に!父親の”母校”でもある「早稲田大学への進学」を検討し始めたそうです。

1977年に志望校であった”早稲田大学”を受験されると、見事!一発で「社会科学部」に合格をされます。

そのため、”東京”の大学進学のために!高等学校を卒業後は地元の”富山県”を離れ、一路「上京」する事となります。

“上京”するにあたって父親から「生活に困ったらこれを売れ」とのことで、”太宰治””の小説「斜陽」を渡されたそうです。

【さらに!】「痴漢防止のため」として、”撃退法”などの特訓を受けたようです。

その後、大学生活がスタートすると!シネマ研究会の”七転舎”に籍を置いていたことから、そこで”約100本”の「自主映画」に参加させられたそうです。

その後も、様々な活動に参加していたことで!大学の”単位”を落としていたのか?”学年”を「進級できない年」が何度もあったらしく!気づいた頃には、”大学生活”を「七年間」続けており!挙げ句の果に「中退」で学生生活を終えた形です。


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◇ もたいまさことの出会い?


早稲田大学時代は、”シネマ研究会(七転舎)”に入籍されており!早い段階から、”映画制作”に関わっていたことから、それが原因で大学の”学年”を「進級できなかった年」を、何度も続けたことから!最終的には「中退」で、学生生活を終えております。

なぜ、”進級”できないまでに「大学をサボっていた」のか?については諸説ありますが、大学時代は”シネマ研究会”に所属され【かなり!】”自主映画”にハマっていたらしく!ご自身が”納得”いくまで、何度も「映画制作に携わっていた」ことから!恐らく、”時間”を忘れて作業に「没頭していた」ために、大学のことなど「眼中に無かった」のです。

但し、それが周囲に認められて!その”姿”を見ていた関係者の間から「自主映画の女王…など」と呼ばれ初め!その当時から既に「役者としての資質」が身に付いていたのです。

その当時に手掛けた作品とは、自身が最も”好んでいた”小説家の「村上春樹」氏の作品を”映画化”したモノが多く「風の歌を聴け・パン屋襲撃・100%の女の子…など」であり、”ご自身”も出演されていたことから!その時から既に、”女優”として「映画デビュー」を飾っていたのです。

元々”自主映画好き”であったことから、1982年には映画監督「長崎俊一」氏が手がけた作品「闇打つ心臓」に出演されて、その当時の”俳優界”では!ほぼ「無名の存在」であった俳優「内藤剛志」氏との”共演”を、果たしていたのです。


引用元【ツイッター(jf×3 )】

この作品での”出会い”がキッカケで、今でも「仲の良い俳優」の一人として!同じように”役者”としての芸能活動に慢心するようになります。

また、この作品は!その当時”ブーム”を向かえていた、映画制作で一番ポピュラーな方法(8mmフィルム)での”撮影方法”であったことから、後世には「8mm映画の作品」として残されておりましたが、近年の”技術進歩”によって「DVDやBlu-ray」に置き換えられているようです。

その後、現在では!”名司会者”として誰もが知る「黒柳徹子」さんが書き下ろした”エッセイ作”の「窓ぎわのトットちゃん」から派生して、誕生した映画「トットチャンネル」の中で使われていた楽曲「東京ブギウギ」の”歌唱”を担当されて、自身初となる「歌手デビュー」を飾ります。

その翌年には、フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「やっぱり猫が好き」に出演されて、女優でエッセイストの「小林聡美」さんや、当時から”個性派女優”として評判が高かった「もたいまさこ」さんと共に、”恩田三姉妹”を演じて話題を呼んだのです。


引用元【インスタグラム(e3m1i1)】

この作品での”共演”がキッカケで、女優「もたいまさこ」さんとの”初対面&初共演”を果たしたのです。

【すると!】主演を飾った三人(小林聡美さん、もたいまさこさん、室井滋さん)の演じた役柄(演技力)と!”コメディータッチ”のドラマ内容が”ピタイチ!”であったことから、”深夜帯”の番組にも関わらず「大ヒット」を記録して、一挙に!三人の”知名度”が世に広まったのです。

元から、”個性派女優”として人気を集めていた女優の「もたいまさこ」さんにとっては【さらに!】”人気上昇”の足掛かりとなり!ほぼ”無名”に近かった女優の「小林聡美」さんや「室井滋」さんにとっては、”知名度”向上の手掛かりとなった作品と言えます。

また、このドラマの”大成功”により!小林聡美さんや室井滋さんの”個性”に「注目が集まり始める」と、”三人”での共演だけではなく!”単体”での「ドラマオファー」が増え始めて行ったのです。

その意味では、この作品(やっぱり猫が好き)に起用されたことは、自身らにしても「女優業の起点となった作品」と言えるのでしょう。

特に、室井滋さんの場合!早い段階から「天然ぽい気質(性格)」を見抜いていた”業界関係者”が居たらしく、”役者”としての仕事以外にも「企業CM・ラジオ・トーク番組・執筆活動」などからのオファーが殺到していたそうです。

また、近年の”SNSブーム”によって!”プライベート情報”なども、少しづつ公開されるようになると!その中で、大の「酒好きであること」が晒されて!自身も出演するテレビ番組などで”酒豪”であることを認め始めたのです。

【すると!】その頃から、”日本酒”について深く語る機会が増え始めたことから、ご本人も気づかぬ間に!”日本酒”の「普及に貢献していた」と認められていたらしく【なんと!】1992年に”日本酒造組合中央会”が主催する大会から、日本酒大賞「奨励賞」が送られたそうです。

恐らく、ご自身としては”趣味感覚”で伝えていた「日本酒の話」でしたが、思わぬところで”反響”を呼んでいたらしく【まさか!】”賞”を頂けるとは思ってもいなかった事態に、相当!”ビックリした”と同時に、”喜んだ”そうです。

一方の”女優”としては、1995年には映画監督「渡邊孝好」氏が手がけた作品「居酒屋ゆうれい」に出演すると、一挙に!自身の”個性”が開花し、また独特の”演技力”が多くのファンたちや関係者から”好評”であったことで、その年に開催された日本映画の”祭典”で、様々な賞を獲得されます。↓↓↓

◇ 報知映画賞最優秀助演女優賞
◇ 日本アカデミー賞最優秀助演女優賞
◇ キネマ旬報最優秀助演女優賞
◇ ブルーリボン賞助演女優賞
◇ 毎日映画コンクール女優助演賞


【さらに!】”女優人”としてだけではなく、自身の”天然キャラ”が!世の中に”認知”され始めた頃に、日本テレビ系列で放送されたバラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」への”レギュラー出演”が決まり、僅かな期間でしたが「個人の一面」を披露されて!多くの”お茶の間”の皆さんを楽しませながら、バラエティー番組に貢献をされていたのです。

また、一部のバラエティー番組での活躍が目立ち始めると!各テレビ局からの”オファー”が増え始めて頃に、当時「無茶苦茶な企画」として人気を集めていた!日本テレビ系列のバラエティー番組「進ぬ!電波少年」での”司会”を務めていたタレントの「松本明子」さんが、”産休”に入ることが決まっていたらしく!その”代役”としてのオファーを受けて、急遽!この番組への出演が決まったのです。

この頃から、バラエティー番組への出演が多くなり!幅広い活動が目立ち始めた頃に、昔からの”悲願”と言う「執筆業」を行ったり!”声優”や”ナレーター”【さらに!】”音楽活動”なども盛んに行うようになります。

特に、2015年にリリースした1stアルバム「信じるものなどありゃしない」では、同郷(富山県)の出身であるシンガーソングライターの「W.C.カラス」との”コラボ”が話題を呼び!”リリース記念ライブ”などを開催されたのです。

恐らく、地元の”富山県”の「地域おこし」のために!”一役”買ったモノと思われます。


引用元【ツイッター(P-VINE RECORDS )】


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◇ 未婚の夫や子供とは?


【実は!】それなりの”ご年齢”を向かえている室井滋さんですが、意外にも!”有名人”でありながら、今だに”未婚”の女性であり!もちろん「子供が授かった経験」も無いそうです。

【ところが!】”事実婚”はされているそうで、”ある男性”と「生活は共にしている」模様です。

その”お相手”とは、映画監督で有名な「長谷川和彦」氏です。


引用元【インスタグラム(the_films_in_my_life)】

ちなみに、事実婚とは!”戸籍(入籍)”を入れずに「生活だけが普通の夫婦と同じ環境」で暮らしているモノであり、”入籍”をしないまま!”一軒家”に二人揃って生活を共にしているスタイルのことです。

傍から見ると、二人は”映画関係者”であることから!それが”キッカケ”で「結ばれたと思われがち」なのですが【実は!】”映画”に関しては一切!関係無く、”ある雑誌”が主催したイベントに!二人が「審査委員」として参加したことで知り合い、長谷川和彦氏側から”アプローチ”があったことがキッカケで、”関係性”を持ち始めたそうです。

【すると!】お互いの”年齢差”的にも、然程!離れてはおらず、また”仕事(役者)”の話でも「共通点がたくさんあった」ことで意気投合をして、”同棲”に至るまでに発展した模様です。

【実は!】この”情報(同棲”)が、メディアから大きく報じられた時には!世間からの”関心度”が増すと共に「ご結婚の話」も浮上し始めた最中【なんと!】長谷川監督が”妻子持ち”であることが発覚して、世間からの”幸せムード”が一変されて「不倫騒動」へと切り替わり!室井滋さんとしては「立場の悪い状況」に陥ったのです。

その後、世間からの”冷ややかな視線”を受けながらも!1992年に、長谷川監督が元妻と「離婚をした」ことによって、改めて!室井滋さんと「共にすることを決めた」のです。

その意味では、”ご結婚(再婚)”をされていても!おかしくない状況下ではあるモノの!今だに”未婚(不入籍)”のままを、一貫しているようです。

“入籍(結婚)”をしない理由としては、室井滋さんが”ご結婚”後に!自身の”苗字”が変わることに「抵抗がある」らしく!”夫婦別姓”の方法もあるのですが、その辺は「昔気質の方」なので!事実上の”同姪”となることを嫌っているのです。

また、室井滋さんは大学時代に!実の”父親”を「肝硬変で亡くしている」ため、”室井家”の「家督を引き継ぐ者」とは”ご自身”しかいなかった!ことも、大きな”要因”の一つなのでしょう。

【さらに!】”子供”も作らずにおりますが、その理由とは!いったい何故なのでしょうか?

残念ながら、2020年度の今だに!長谷川監督との間には「子供が授かっていない」そうです。

但し、長谷川監督としては!”前妻”との間に「子供が授かっており」”血”のつながった子供が居るそうです。

しかし、室井滋さんは!他の”男性”との「妊娠経験」すら!無いのです。

二人は、今だに”事実婚”での生活を送っているため!”子供”を作らなくても「おかしな夫婦」とは見られないモノの【やはり!】”ご年齢”が邪魔をしているのか?”子作り”は【かなり!】厳しい状況下にあるようです。

但し、長谷川監督は以前に!室井滋さんとの間に「万が一!子供が授かった場合は”真面目”に育てる」とコメントを残しているので、その意味では「子作りに前向きな姿勢」を示しているのです。

室井滋さんも「子供の代わり」ではありませんが、以前から大の”猫好き”として有名であり、たくさんの”猫”を家で飼い「大切に育てている様子」を窺う限り!恐らく、子供ができれば”性格的”に「子育てに明け暮れる」はずです。


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◇ しげちゃん一座とは?


室井滋さんは、”女優”としての「知名度が高いこと」は誰もが知るところですが【実は!】”絵本作家”としても活動をされており、”絵本”を普及するためとして!ご自身で「しげちゃん一座」と呼ばれる”ユニット”を立ち上げているのです。

その”ユニット(しげちゃん一座)”の主な活動とは、幼少期の子供たちに”絵本”を読み聞かせしたり、
イベントを催して”ステージ”から絵本を朗読したり【さらに!】面白トークを繰り広げて親御さんを含めて楽しませたり、素敵な楽曲を披露したり・・・されて、子供たちが”絵本”に「興味を示す活動」をされているそうです。

この”ユニット”に参加しているメンバーとは、絵本作家の「長谷川義史」氏、ジャズ・サックス演奏者の「岡淳」氏、翻訳家の「大友剛」氏と「ご本人」の”4名”で結成されたそうです。


引用元【インスタグラム(shiho.76)】

開催している”イベント”では、あくまでも”子供ファースト”を意識しているらしく!子供たちを巻き込んでの”企画モノ”を数多く取り入れており!時には、室井滋さんが”変装”して登場したり、子供たちの想像を超える「意表を付いた企画」を行っているユニットです。

そのため、イベントの”終始”は!常に「笑顔や笑いが絶えない」子供たちが多く【さらに!】その”親御さん”までも楽しめる”ライブショー”として!人気を集めているそうです。


引用元【インスタグラム(geko1208)】


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◇ 経歴や実績[年代順]


◇ 映画

・ 1978年に、”早大シネマ研究会”によって公開された映画”ビハインド”に出演され「映画デビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(ぴあフィルムフェスティバル(PFF) )】

◇ テレビドラマ

・ 1981年に、TBS系列で放送された番組”ケンちゃんチャコちゃん”に出演され「テレビドラマデビュー」を飾ります。

◇ シングル

・ 1987年に、”COLUMBIA”が手がけた作品”東京ブギウギ”がリリースされ「シングルデビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(ELLA RECORDS 下北沢 )】

◇ 雑誌

・ 1991年に、”マガジンハウス”が手がけた作品”『むかつくぜ!』”がリリースされ「雑誌デビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(芸能怪獣 ニュースカ β )】

◇ アニメ映画

・ 1995年に、東宝系列で放送された番組”耳をすませば”に出演され「アニメ映画デビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(滝番晟 )】

◇ ラジオ

・ 1996年に、”TBSラジオ”局が放送した番組”三菱ドライビングポップス ?室井滋 空に向かって?”に出演され「ラジオデビュー」を飾ります。

◇ CM

・ 2006年に、”コーセー”が手がけた企業CM”ルシェリ”に出演され「CMデビュー」を飾ります。

◇ テレビ番組

・ 2013年に、CX系列で放送された番組”ガチャガチャポン!”に出演され「テレビ番組デビュー」を飾ります。

◇ 舞台

・ 2015年に、”新川文化ホール”によって公開された舞台”菊次郎とさき”に出演され「舞台デビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(新川文化ホール )】

◇ アルバム

・ 2015年に、”COLUMBIA”が手がけた作品”信じるものなどありゃしない”がリリースされ「アルバムデビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(P-VINE RECORDS )】

◇ ネットドラマ

・ 2018年に、Amazonプライム系列で放送された番組”日本をゆっくり走ってみたよ ~あの娘のために日本一周~”に出演され「ネットドラマデビュー」を飾ります。

引用元【ツイッター(青とブルー )】


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◇ プロフィール


本名
室井滋
読み
むろい しげる
生年月日
1958年10月22日
仕事
女優・ナレーター・エッセイスト
出身地
富山県滑川市
所属事務所
ホットロード
血液型
O型