元プロ野球選手(ヤクルトスワローズ出身)で、現在”タレント”として大きくご活躍中のスポーツキャスターでタレントの「長嶋一茂」氏。

何やら?テレビ朝日系列で放送されている朝の情報番組「羽鳥慎一のモーニングショー」に出演された時に、周りのキャスター人と比べて!あまりにも「真っ黒く日焼けした姿」を披露され、注目を集めた模様です。

この”話題”で盛り上がっている!そもそもの”情報発信源”は「ネット界(SNS)」からで、”長嶋一茂”氏がこの番組に「生出演した姿」を目撃した”ネット住民たち”から一斉に!「同じような声」が伝えられ注目が集まったのです。

その”声”とは!「松崎しげるが出てると思ったら長嶋一茂だった・たいめいけんの人かと思った(茂木氏のことです)・超ガングロ長嶋一茂にネットざわつく・長嶋一茂ネットがざわつく黒さ…など」の”ネタ”で話題をさらい!その「黒さにインパクトを受けた視聴者」が多く居たことを物語っていたのです。

元から”ネタ”になり易い「キャラ」ではあるモノの【まさか!】の「日焼けっぷり」で世間をザワつかせた「長嶋一茂」氏を紐解いて行きます。


引用元【ツイッター(マーズあっぷる )】



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 小中高校は
・ 俳優人の実力
・ ハワイの自宅から出勤
・ 経歴や実績[年代順]
・ プロフィール



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◇ 小中高校は


長嶋一茂氏は1966年1月26日生まれの54歳(2020年)で、ご出身は「東京都」です。

ご出身の”東京都”にあるご自宅で、ご両親と妹と弟の六人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に有る学校に通うのが一般なので、長嶋一茂氏も(東京都)内の小学校・中学校に通っていたと”推測”できます。

最新の情報では小学校は地元の東京都にある”大田区立田園調布小学校”にご入学されたと判明しております。

ご家族は”ご両親”と”妹二人と弟一人”がいて、ご自身は「長男」として生まれ育ったご様子!

ご周知の通り!”父親”は元プロ野球選手で読売ジャイアンツ終身名誉監督の”ミスタープロ野球”「長嶋茂雄」氏、”次女”はスポーツキャスターやMCなどでご活躍中の「長島美奈」さんです。

また、”メディア”に登場することが無い”長女”の「長島有紀」さんは一般人、”次男”の「長島正興」氏はレーシングドライバーでご活躍中です。

幼少期から既に「芸能の頭角」を現しており、”0歳”にして!父親と一緒に「カルピス」の新聞広告に掲載され「モデルデビュー」を飾っております。

また、都心でも比較的!自然の多い「上北沢」に自宅があったことから、”庭”に「タケノコ」が生えていたそうです。

しかし、その自宅には「長く住んでいなかった」らしく、幼少期の頃に【さらに!】”都心寄り”の「田園調布」に引っ越しをされております。

田園調布の”新たな自宅”は、上北沢に住んでいた”自宅”よりも「140坪小さかった」ことから、”窮屈”な生活を余儀なくされていたそうです。

ちなみに、引っ越し後の”上北沢”の物件には、元総理大臣の「中曽根康弘」氏が住んでいた!とのことです。

父親が「超有名プロ野球選手」であったことから”顔”を合わせる機会が少なかったようで、それでも幼心に「将来は父親と同じプロ野球選手になる」と決めていたそうです。

なので、父親と一緒にいる時間が少なかった分!弟の”長島正興”氏と「喧嘩が絶えなかった」ようです。

また、”長男”でしたので相当な!「悪たれ坊主」であったご様子で、勝手にベランダに”水”を溜めて鯉を飼ったり、自宅にあった”木”に登って遊んだり、憧れていたブルース・リーのマネをしたり…など、何も言わない(怒らない)母親を困らせることが多かったそうです。

その「破天荒ぶり」は小学校に進学しても変わらずに!授業の邪魔をして廊下に立たされたり、専属で頼んでいた”家庭教師”に宿題をさせたり、調理実習の時に勝手に自宅から”肉”を持参したり、いきつけの”寿司屋”に出向いて、たらふく寿司を食ったり・・・と、一般の小学生ではありえない!「やりたい放題の生活」を行っていたようです。

【しかも!】”超有名人”の実家であったことから”来客”する人物も「大物揃い」であり、毎年”正月”に貰う「お年玉」が相当!豪華であったらしく、平均「一万円のお年玉を約50名から貰っていた」とのことです。

しかし、”破天荒”な少年も四年生になる頃には”野球”に興味を持ち始めたらしく、地元の「リトルリーグ(目黒東クリッパーズ)」に参加をして、本格的に野球を始めました。

但し、そのクラブでは父親と同じ「背番号(90)」が与えられたり、ポジションも同じ「サード」を守ったり・・・と、何かと!父親を「意識したスタイル」を強制的に取らされていたことから、約一年半で辞めたそうです。

野球に目覚め始めた小学時代を終えると、中学校も地元の東京都にある”大田区立田園調布中学校”にご入学されました。

・・・とは言っても、当初!ご入学された中学校は、群馬県吾妻郡にある「白根開善学校中等部」であり、両親の”教育方針”で「自宅に依存しないように離れた中学校を求めた」ようです。

また、この中学校は”少人数学習”が特徴的であったことから、両親の意向の中には「強い集中力を身に着けさせたい思いが強かった」可能性が否めません。

なので、しばらくは「一人きりの学校生活」を耐えておりましたが、敢え無く!”一年間”で「退寮」されました(笑;)。

その後、地元に戻り”大田区立田園調布中学校”に転校(転向)されたのです。

すると!また「破天荒な性格」が姿を現し出し、放課後に渋谷で”映画”を見たり・父親が大切にしていた”盆栽”を壊したり・中華料理店でデートを行ったり・・・と、”野球”から離れ「遊び呆けていた」ご様子です。

しかし、一方では!陸上大会の時に、”臨時”で陸上競技に参加され「短距離走で活躍」を見せたり、学校の授業の他に”塾”に通っていたり、家庭教師を付けて勉強を行ったり・・・と、意外に「勤勉な姿勢」も見せていたようです。

”野球”から遠ざかった中学時代を終えると、高校は埼玉県にある”立教高校(現:立教新座中学校・高等学校)”にご入学されました。

この高等学校は基本的に「中高一貫教育」なので、中学校から”エスカレーター式”で進学する生徒が多いのですが、長嶋一茂氏は「高等学校から進学された」ようです。

この高校の課程は”全日制”の「男女共学校」で、”学科”は「普通科」のみです。

また、”通学期”も一般的な「三学期制」を導入されているご様子!

【実は!】この高校に進学する前に、神奈川県にある”桐蔭学園高等学校”に「合格を果たしていた」のですが、中学校時代に諦めた”野球”をもう一度やりたい!との強い思いがあったことから、父親と同じ「立教高等学校」に変更されたのです。

・・・とは言っても、当時の!この高等学校の”偏差値”は「68」と、相当な!”難関校”であっただけに、そんなに容易く「入学出来るレベル」では無いので、それだけに!長嶋一茂氏の”学力”が「優秀であった」ことを物語っております。

なので、野球界を引退後「芸能界進出」を行いますが、初期に見せていた”おバカキャラ”は・・・【実は!】「見せかけ」であった可能性が否めません。

高校進学で再び「野球に興味を示した理由」とは、同じ世代で”高校球児”であった早稲田実業の「荒木大輔」氏が”甲子園出場”を果たし、当時”大人気”を誇っていたことに憧れを感じたらしく、それがキッカケで再度!野球に興味を示したそうです。

高校生活がスタートすると予定通りに”野球部”に入部されて、相変わらず!周りから「注目を受けながらの取り組み」となったようですが、しばらく練習から離れていたことから直ぐにケガ(左肘痛)に見舞われ、二年生頃までは「球拾いの毎日」であったようです。

ただ、十分な練習は出来ないモノの「食欲は旺盛」であり【しかも!】”資金”面も「裕福」であったことから、一日!六~七食をペロリと平らげて「体の成長につなげていた」そうです。

すると、二年生の”終盤”頃から急激に!”実力”が伸び始めて、レギュラー入を果たすと同時に「4番で活躍するシーン」が多くなって行きます。

しかし、高校三年生になると埼玉県の”甲子園出場予選試合”に出場をするモノの「準優勝」で終わり、そのまま甲子園”無出場”のまま「高校球児を引退」されます。

【しかも!】その決勝戦(対!所沢商業高校戦)では、自身の”エラー”によって「敗北を喫した」ので、その時の”責任”を今でも引きずっているそうです。

野球で”青春”を横臥した高校時代を終えると、大学は東京都豊島区にある”立教大学”の「社会学部経済産業学科」にご入学されました。

元々「立教系(系列校)」の高等学校であったことから、大学進学の際は”一般入試”では無くて「内部審査」のみで入学を果たしました。

大学に進学してからも”野球部”に入部され、相変わらず!周りから注目される中で”一年生”の時から「レギュラーに起用」されて活躍を見せます。

しかし、大学野球デビューを飾った記念すべき試合で、また「エラー(トンネル)」を起こしてしまって、高校時代の”悪夢”が蘇ったそうです。

それでも、学校の勉強は”疎か”であったモノの野球の練習には積極的であったことから、四年生になると「チームの主将」に起用され、名実ともに有意義な大学生活を送っていたようです。

また、四年生の時に開催された”日米大学野球選手権大会”の日本代表に選出され、後に大活躍をされるスワローズの「古田敦也」氏やカープの「野村謙二郎」氏と共に、日本野球の勝利のために大きく貢献されました。

大学卒業後は御存知の通り!プロ野球球団の”ヤクルトスワローズ”に入団され、あらゆる方面から「ミスター二世」の名の元に、大きな注目を集めながらプロ選手として活動をスタートさせます。


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◇ 俳優人の実力


長嶋一茂氏は、国民的プロ野球人として!誰もが知る名選手の、読売巨人軍”終身名誉監督”である「長嶋茂雄」氏の息子(長男)です。

また、”二人妹”の次女「長島三奈」さんも、大の「高校野球ファン」であることから、野球関連の”キャスター”としてご活躍されておりました。


引用元【ツイッター(コアラのまーしー )】

“球界”を引退後は、個人事務所の「ナガシマ企画」を立ち上げて”芸能界”に進出するようになると、持ち前の”知名度”や”野球経験”を生かした「スポーツキャスター」として、新たな人生をスタートさせました。

なので、芸能界デビューを飾った頃の仕事は?というと、キー局の「プロ野球番組の解説」などがメインで、その時代は丁度!プロ野球界を引退した選手の「新たな仕事先」として、”深夜”の「プロ野球ニュース」内で、各球団別の解説をする仕事が多かったことから、長嶋一茂氏もそれにハマっていたのです。

特に、”親”の名の元で「絶大な知名度」を誇っていたことから、軒並み!出演する番組の視聴率を稼いでいたことから、頻繁に”メディア”で目にする機会が増えて行きました。


引用元【ツイッター(クラバート )】

すると、その「話しぶり」で好評を得たことから、”解説”に留まらず番組の「MC」などに起用されるようになって行きます。

また、その「抜群な知名度」は”企業CM”が黙っている訳もなく!当時、流行していた飲料メーカー”サントリー”のCM「ボス・シリーズ」に出演されて話題を呼びます。

芸能界で大きな躍進を見せていた1998年頃からは、スポーツキャスターを担当する一方で「俳優業」にも挑戦するようになり、同年10月から日本テレビ系列で放送がスタートしたテレビドラマ「なにさまっ!」に出演し、自身初の「俳優デビュー」を飾りました。

その後も、様々テレビドラマに出演されて”役者”としての「頭角」を現し出した2002年頃になると【さらに!】”映画界”にも挑戦するようになり初めて、プロ野球球団の”阪神タイガース”を舞台とした映画「ミスター・ルーキー」に出演されて、自身初の「映画デビュー」を飾ると共に【なんと!】主演の「大原幸嗣」役に抜擢されました。

すると、その年に催された日本映画の祭典「日本アカデミー賞」では【まさに!】俳優界の”ルーキーぶり”を披露され「新人賞を受賞」されました。


引用元【ツイッター(大地??@龍が如くにハマり出す )】

【さらに!】目覚ましい「俳優としての活躍」を見せる中で、国民から”圧倒的”な指示を受ける人気番組!NHKでお馴染みの大河ドラマ「義経」に出演されて、藤原氏の武将「藤原国衡」役を演じて「時代劇の対応力の良さ」も、披露されたのです。

その後も、精力的に人気”テレビドラマ”や話題作”映画”に出演されて人気を集め、誰もが想像していなかった「分野での活躍」が目立つようになって行きます。

すると、その”知名度”と”人気”を活かしつつ!バラエティー番組などにも出演するようになると、端切れの良い「トーク術」や、クイズ番組での「頭脳派」を見せつけて、一躍!ブレイクを果たしました。

最近では、自身でも予想してなかった!ほどの”人気ぶり”に恐れをなしたのか?ご自身のコメントで「タレントとしての能力があるのではなく世間が勝手に騒いでいるだけの人気であり”一過性”のモノだ」等と発言しているようです。


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◇ ハワイの自宅から出勤


芸能界きっての「ハワイ好き」として有名になった!長嶋一茂氏ですが、ある番組で「とんだヘマ」を侵して注目を集めたことがありました。

それは、テレビ朝日系列で毎朝放送されている情報番組「羽鳥慎一のモーニングショー」に”レギュラー”出演されていた時に、周りの共演者に比べて明らかに!日焼けし過ぎた「真っ黒な顔」で登場して、お茶の間をザワつかせたことがあったのです。


引用元【ツイッター(芸能まとめアンテナ )】

【しかも!】その姿を見た”ネット住民たち”も黙っている訳もなく!その「黒さの話題」で大盛り上がりを見えたのです

もちろん!司会を進行していた「羽鳥慎一」アナや、共演していた作家の「吉永みち子」さんも黙っている訳もなく!鋭い”ツッコミ”の応酬にタジタジとなったのです。

“羽鳥慎一”アナからは「どこまで黒くなるのか楽しみです」等と告げられると、”微笑み”を浮かべながら「自分も楽しみです」等と答え、まるで!「他人事のように話す姿」で視聴者の笑いを誘ったのです。

ただ、ご本人も”色黒”になることには抵抗が無く、その”理由”として「ハワイ好きであるが故の姿」等と、自慢気に語っているご様子です。

確かに!その時の「黒さのレベル」は、歌手の「松崎しげる」氏を彷彿とさせる”出来栄え”で(笑;)、それに「勝ると劣らない黒さぶり」で番組出演されていたのです。

一方のネット界での”盛り上がり方”を見ると「またハワイに行ったのだろう・ハワイからの出勤か・ハワイで焼き過ぎ・ハワイの往復羨ましい・ハワイに住みたい…など」と、長嶋一茂氏が大の”ハワイ好き”であることを理解している上での「皮肉めいたコメント」が、多数寄せられていたのです。

なので、長嶋一茂氏が”ハワイ”から番組出演されたのか?の出来事よりも【やはり!】「真っ黒になった姿」にインパクトを覚えた視聴者が多かった模様で、”キャラ”らしいスタイルで大きな注目を集めたご様子です。

きっと!「偉大な父を持つ息子」であるだけに、ご本人の意思とは無関係に!世間から大きく注目されたい!と感じる「心理を秘めている」のでしょう。


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◇ 経歴や実績[年代順]


◇ テレビドラマ

・ 1998年に、TBS系列で放送された番組”なにさまっ!”に出演され「テレビドラマデビュー」を飾ります。

◇ テレビ番組

・ 1999年に、フジテレビ系列で放送された番組”料理の鉄人”に出演され「テレビ番組デビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(kaku0818??? )】

◇ 映画

・ 2002年に、”東宝”によって公開された映画”ミスター・ルーキー”に出演され「映画デビュー」を飾ります。


引用元【ツイッター(通勤時間40分@ふんばろう山梨 )】

◇ CM

・ 2009年に、”太田胃散”が手がけた企業CM”太田胃散”に出演され「CMデビュー」を飾ります。


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◇ 長嶋一茂氏のプロフィール


本名
長嶋 一茂
読み
ながしま かずしげ
生年月日
1966年1月26日
仕事
タレント、俳優
出身地
東京都
所属事務所
ナガシマ企画
血液型
B型