1990年代を代表する”女子アナ”としてご活躍し、フジテレビ局の「看板アナウンサー」として
男性ファンを多く抱えていた現フリーアナウンサーで女優の「八木亜希子」アナが、難病「線維
筋痛症」を患い、しばらくの間”芸能活動”を「休業」することになった模様です。

八木亜希子アナ”54歳”にして初の難病「線維筋痛症」を発症したようです。

詳細は分かっておりませんが難病(線維筋痛症)によって、しばらくの間”八木亜希子”アナが
“視れなくなる”ことは事実で誠に残念なことですが、その報道内容について紐解いて行きます。


引用元【ツイッター(サンスポコム )】

寄りによって!クリスマス・イブのこの日、一報はご自身が所属する芸能事務”フォニックス”の
公式Webサイトによって明らかにされたもので↓↓↓

数日前から原因不明の体調不良が続き、回復の兆しがみられない為、医療機関にて診察を受けたところ、線維筋痛症との診断を受けました。

※ 引用元【サイト(Phonics公式サイト)】


「線維筋痛症」とは、体の様々な”筋肉”・”関節”が原因不明のまま傷みだす症状のことで、痛状は
“痛風”なみの、かなりの「激痛」です。

男性のみに発症し易い”痛風”の「女性版」てところでしょうか?

但し”痛風”は患部が限定されますが、この病の場合”全身”に「痛みや嫌悪感」が症じるので、
むしろ”リュウマチ”にも似ている疾患です。

【しかも!】様々な”合併症”も引き起こし易く、痛みにより眠れない「睡眠障害」原因不明の
病なので長く続くことによる「うつ状態」なども発症するケースが多いようです。

八木亜希子アナの場合も「原因不明の体調不良」とされておりますので、ある日から体に「痛みや
不快感」を症じるようになり、仕事に”支障”をきたすまでに「悪化」されたことで”休業”の事態と
なったのでしょう!

また一報の続きとして「医師からの指示により、しばらくの間全ての仕事をキャンセルし、休養
させていただく事になりました。」と記されていますので、症状は相当「悪い状態」にあることは
容易に想像がつきます。

早く回復し、また”美人な姿”が視れることを望みますが、”線維筋痛症”は「脳の機能障害」とも
呼ばれているほど”極度な難病”であることは間違いなく、症状が”悪化”すれば「芸能界の引退」の
可能性もあるだけに非常に心配です。

これから難病「線維筋痛症」と戦って行くであろう”八木亜希子”アナにスポットイン!



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 中高大学は?
・ 結婚後離婚?
・ 寝坊事件?
・ プロフィールのご紹介!



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◇ 八木亜希子アナの中高大学は?

八木亜希子アナは1965年6月24日生まれの54歳(2019年)で、ご出身は「神奈川県横浜市」です。

ご出身の”神奈川県横浜市”にあるご自宅で、ご両親と兄と姉の五人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に
有る学校に通うのが一般なので、八木亜希子アナも(神奈川県横浜市)内の小学校・中学校に
通っていたと”推測”できます。

但し生まれは”静岡県”の「浜松市」で、ご自身”1歳”頃まではそちらに住んでおり後に神奈川県の
「横浜市」に引っ越しをされております。

なので、最新の情報では小学校は地元の神奈川県横浜市にある”横浜市立新田小学校(転校後の
可能性が高い!)”に、ご入学されたと判明しております。

ご家族は”ご両親”と”兄と姉”がいて、ご自身は”一番下”の「末っ子」として生まれ育ったご様子!

父親の職業は”建設会社”の役員をされていたそうで、それなりの裕福な家庭環境で育った様です。

一時期は”彩色兼備”の「女子アナ」として”知的”な雰囲気を醸し出していたイメージがありますが、
小学校時代の”成績”は意外にも”中位”であったらしくそれほど”優秀”とは言えなかったようです。

また、兄弟の中でも「大のテレビっ子」であったらしく当時、”歌番組”で大人気であった”ザ・
ベストテン”を毎週欠かさずに視ていたのだとか。

その一方で、”マンガ女子”でもあり当時、少女たちの間で流行っていた月刊少女マンガ雑誌の
“なかよし”や”りぼん”の「愛読者」でもあったらしいです。

小学校六年生になると”理由”は分かっておりませんが、”川崎市”の学校から”横浜市”の小学校へ
「転校」をされております。

その小学校は”以前”の学校とは違い”友達間”が非常に”フレンドリー”で、男女で一緒に遊ぶのは
当たり前!

なので、前の”古臭い”校則のある学校とは大きく異なっており、小学生の”少女”ながら初めて
「カルチャーショック」を受けたそうです。

そのため、今でも”その時”の「印象」が強く残っているそうです。

様々な”ご経験”をされた小学時代まで終えると、中学校も地元の神奈川県横浜市にある”横浜雙葉
中学校・高等学校”にご入学されました。

この学園はが”学校名”の通り「小中高一貫教育」の学園であり【しかも!】地元でも有数の「名門
私立女子校」として有名で、さらに”カトリック教育”の学校です。

理由は分かりませんが何故か?後に”アナウンサー”になる学生が多く、ご卒業生には”八木亜希子”
アナを始め、元TBS社の人気女子アナであった「渡辺真理」アナ、「戸田恵美子」アナなどが
居るそうです。

但し、当時の八木亜希子アナは”アナウンサー”志望ではなく”俳優”志望であったらしく、故・元
俳優で大ベテランであった「丹波哲郎」氏が創立した俳優養成所「丹波道場」への”入所”を
希望していたそうですが、父親の”大反対”を受けて諦めたそうです。

この中学校は”中高一貫教育”であるため、中学校にさえ入ってしまえば”内部審査”のみで高校まで
「エスカレーター式」で”進級(進学)”することができます。

しかし、当時の中学校の偏差値は”65”以上であるため、かなりの「難関校」として有名で、
容易く入学できるものではなかったそうです。

なので、八木亜希子アナも”ご入学時”は相当”ご苦労”されたと想像がつきますね!

“俳優”を目指したかった?中学時代を終えると、高校も”一貫教育”の学園であったことから地元
神奈川県横浜市にある”横浜雙葉高等学校”にご入学(進級)されました。

この高等学校は”中高一貫”なので、”外部”からの一般募集(一般入試)は行っていないのだとか。

高校に進むと「運動部がなかった!」ためか?”英語部”に入部し、”語学”の勉強に励んで
いたそうです。

また大の”早稲田ラグビー”のファンで、後に”プロラグビー”選手となり日本代表でもご活躍された
「本城和彦」選手が特に大好きであったらしく、それも含めて「早稲田大学」に興味を示す様に
なります。


引用元【ツイッター(産経ニュース )】

“早稲田ラグビー”の追っかけ?で青春を送った高校時代を終えると、大学は”望み”でもあった
東京都新宿区にある名門”早稲田大学”の「第一文学部」に合格し、悲願であった”早稲田大学”の
キャンパスに足を踏み入れる事となります。

大学に進学してからも”俳優の夢”は捨てきれていなかったのか?”ミュージカル研究会”に所属し
学業と共に「舞台練習」も熟して行きます。

ただ”研究会内”では同じように”舞台俳優”を目指していた”学生”との競争が激しかったのか?
“舞台”で活躍するよりも「裏方」の仕事を多く熟していたそうです。

また研究会での”服装スタイル”は、ほぼ「ジャージ姿」が多かったらしくサークルの活動中は
あまり”オシャレ”に拘っていなかったのだとか?

大学時代から相当な”美人”であった!と周りの親友達が後に語っておりますので、八木アナの
“ジャージ姿”は、かなり「映えていた!」ことでしょうね!

もしかしたら、”俳優”を目指していた研究会の”女子”たちから「嫉妬」を受けた為に、表舞台への
出演が少なくなった!可能性がありますね(笑;)

なので、その”噂”は業界へも伝わっていたのか?当時、写真週刊誌の”一社”として有名であった
「Emma」に”お嬢様女子大生”として採用され、その頃から”化粧”をするようになったご様子!

その後”大学三年生”になると”就職活動”が始まり、さらにミュージカル研究会も”退く風習”に
あったことから、”研究会”と並行して行っていた「心理学」の勉強と”就職活動”に慢心するように
なって行きます。

すると”理由”は分かりませんが”アナウンサー”に興味を持ち出したらしく、各局の”入社試験”を
受ける事となります。

但し、この時は”面接練習の一環”として受けていただけであり”本気”で受かるつもりが無く、
しかし、フジテレビ社と日本テレビ社の”試験”に見事!「合格」して最終面接まで残ったそうです。

後にこの時の”エピソード”として、フジテレビ社を受けた際の”面接官”の中に故「逸見政孝」氏が
居たそうで「受け答えが怖かった!」と語っておられます。

さらに、その際の面接では”得意”であった「ミュージカル」を披露したそうで他の入社希望者との
違い(区別化)を試みたとのこと。

その後、ご自身の中で「最初に”内定”が出た会社に入ろう!」と決めていたらしく、最初の一報は
フジテレビ社からの”内定通知”であったことから、同社への「就職」を決めたそうです。

そして1988年3月に早稲田大学を無事にご卒業され、4月から”内定”が決まっていた
“フジテレビ社”に入社されました。

【なんと!】この時代の同期には、後にフジテレビ社を代表する人気”女子アナ”となる故・「有賀
さつき」さんや「河野景子」さん、さらに男性では「青嶋達也」氏などが居たそうです。

無事に同社に入社すると”女子アナ”としての活動を本格的にスタートさせ、当初は”研修”に励んで
おりましたが、同年7月からは同社のニュース番組”FNNスーパータイム”の「お天気コーナー」に
抜擢され、自身初の「テレビデビュー」を飾りました。

その後は徐々に”テレビ出演数”が増え始め、他番組での”お天気キャスター”、”リポーター”、
“朝”の番組や”情報番組”への出演、プロ野球ニュースでのMC、情報番組のメインキャスター等を
歴任し、順調にアナウンサーの”キャリア”を重ねて行きます。

すると”お茶の間”のみならず”一般世間”から男性ファンが登場し人気が集まり初めて、1994年
6月から公開された映画”RAMPO”に出演し自身初の「映画デビュー&女優デビュー」を飾りました。





その後も同社の”女子アナ”でありながら、様々な”ジャンル”を熟す「人気女子アナ」として
知名度が広がり”男性ファン”を抱えるほどの人気ぶりを見せて、1990年代を代表する
「女子アナの一人」としてテレビ界に”君臨”しておりました。

【ところが!】人気絶頂期の2000年3月いっぱいをもって同社を退社しフリーアナウンサーに
転向されます(理由不明!)。

その当時は、テレビ制作事務所”共同テレビジョン”に所属し主に「タレント」としての活動を
行っております。

すると、2002年10月に、大学時代(早稲田大学)から”交際”していたと言う一般会社員との
「結婚」を発表し、日本の”芸能界”を「一旦休止」してアメリカのカルフォルニア州にある
“サンタクララ大学大学院”にご入学されます。

しかし”理由”は分かりませんが急遽、”日本”へ帰国する事となり通っていた大学を”休学”する事に
なります。

日本に戻ってからは、また”芸能界”に復帰し2007年から放送がスタートしたご自身のラジオ
冠番組であった”八木亜希子と垣花正のサウンドコレクション”に出演し自身初の「ラジオ・
デビュー」を飾りました。

その後も”様々な場面”でご活躍されておりましたが2008年10月に、以前からお世話に
なっていた”共同テレビジョン”や大手芸能プロダクション”セント・フォース”、さらに女子アナ
デビューを飾ったフジテレビ社で”共同設立”した新プロダクション”フォニックス”に移籍する事と
なります。

その後は”フリーアナウンサー”として、古巣のフジテレビ社が手掛けるニュース番組の”メイン
キャスター”に抜擢されたり、同社が制作した映画”みんなのいえ”に出演し、”女優”としての
芸能活動も盛んにして行きます。

さらに2018年からは舞台”江戸は燃えているか”に参加して、学生時代に”夢”・憧れを抱いた
「舞台デビュー」を飾り、今に至っております。


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◇ 八木亜希子アナは結婚後離婚?

八木亜希子アナは2002年10月に、大学時代(早稲田大学)から”交際”していた!と言う一般
“会社員”と、ご自身”37歳”の時にご結婚をされました。

当時は、お笑いコンビ”ウッチャンナンチャン”の「内村光良」氏や、お笑い芸人の「明石家
さんま」氏との”恋愛説”で世間をザワつかせておりましたが、結局のところ”外資系”の金融機関に
務めているという「一般男性」に”寄りが収った”のです。


引用元【ツイッター(話題の扉 )】

なので、当時は”モテモテ”の女子アナとして業界では有名であったらしく”誰が仕留めるのか!”と
注目されていたものです。

その後は突如!”渡米”して、カルフォルニア州にある”サンタクララ大学大学院”にご入学され、
日本からは”姿”を晦まし、誰もが八木亜希子アナの”存在”を忘れ去っておりました。

しかし、そんな”現状”を知っていた一部”芸能ヲタク”らに「仮面夫婦の疑い!」が持たれるように
なって、ネットで”話題”に取り上げられるようになります。

それもそのはず!妻は”40歳”近いのに何故か?アメリカの大学院へ!夫は日本でバリバリに
稼いでいる大手サラリーマン!、普通の庶民の感覚からすると”別居生活”が長い分「仮面夫婦」が
疑われてもおかしくありませんね!

なので一部では既に「離婚をしている!」などの声も浮上するようになりだし、その”実態”は
今だに定かではありません。

但し、二人の間に”子供”が授かっていないところを見ると(推測)「夫婦円満」ではないように
伺えます。

二人を”追いかけてきた”芸能記者によると「形だけの夫婦で事実上既に破綻している!」等と
述べている方もいらっしゃるそうで業界関係者が”夫婦破綻”を称えているのなら、”破綻”の
可能性は「有り得る話」だと思われます。

しかし、”大手”の有力「芸能誌」などからは今だに”ネタ”にされておらず、しかも八木アナが
普通にメディアに登場している昨今でも、ネットやメディアで叩かれない様子を見ると、
その信憑性は薄い!とも捉えることができます。

なので、やはり”真相”は「ご本人たちのみが知る!」と言うのが現状でしょうね。


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◇ 八木亜希子アナの寝坊事件とは?

八木亜希子アナと言えば、今でも”フジテレビ局”の「女子アナ」のイメージが残っている方が
多いと思いますが、当時は同局の「花の三人娘」としてご活躍されておりましたね!

【実は!】この”三人娘”とは1988年にフジテレビ社に一緒に入社した”同期”の女子アナたちで
今はお亡くなりにならた故・「有賀さつき」さん、以前は”相撲界”の「女将」としてご活躍された
「河野景子」さん達のことです。



引用元【サイト(NAVERまとめ)】

この中で唯一、”現役芸能人”としてご活躍中なのが”八木亜希子”アナでしたが・・・

先日”発症”した病「線維筋痛症」によって、しばらく”芸能界”から離れることが発表され”療養
生活”に入られました。

しかし、その前の”元気”であった2019年4月にニッポン放送のラジオ番組”垣花正あなたと
ハッピー!”にゲスト出演をされ、フジテレビ時代の”思い出話”を披露して番組を盛り上げて
おりました。

するとその中で、今ではスッカリ!フジテレビ局を代表する”夏の番組”となった「FNS27時間
テレビ」の話題に及び、番組出演した際に思わぬ”ハプニング”を起こした事を暴露されたのです。

“年代”は定かではありませんが、”MC”にお笑い芸人の「明石家さんま」師匠と、同じくお笑い
コンビ”ナインティナイン”が担当した放送時に、八木アナは”アシスタント”で入ったそうです。

その番組内では、八木亜希子アナが”メイン”で担当する事となっていた番組は以前から務めていた
フジテレビ社の”早朝時間帯”の冠番組”めざましテレビ”で、放送は”普段通り”に滞りなく”無難”に
熟されたそうです。

その後、”27時間放送”であったので、通常とは違いその後も”テレビ出演”が待っていたことから、
一度”自宅マンション”に戻り「仮眠」を取り”夕方頃”の「再出演」まで自宅待機をしていた様です。

【ところが!】その際に”メイク”を落とし”パジャマ”に着替え「仮眠程度」の”予定”で眠りに
ついたところ、あまりにも”気持ち”が良過ぎて「熟睡」に陥ってしまったそうです。

すると、”目覚まし時計”の「ベル」ではなく”担当スタッフ”からの「呼び出し電話」で目が覚め、
“出演予定”であった放送ギリギリの”30分前”まで「寝坊」をされたそうです。

その後”慌てて”タクシーを拾い、無事にフジテレビまで到着したは良かったのですが、放送予定で
あった”生番組”のギリギリ”10分”前の到着!

【しかも!】急いでいたことで、ほぼ”スッピン”の姿!さらに衣装は”私服”!での出演と
なったそうです。

なので、その”ハプニング”は「関係者」でないと知らなかった事実なので普段、八木亜希子アナの
“スッピン姿”を見る機会は、ほとんど”あり得ないこと”なので、その番組を見た視聴者ファンは
「知らぬ間に得をしていた!」ことになりますよね♪


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◇ 八木亜希子のプロフィール

本名
八木 亜希子
読み
やぎ あきこ
生年月日
1965年6月24日
仕事
アナウンサー・女優
出身地
神奈川県横浜市
所属事務所
フォニックス
血液型
O型