今や”国民的女性ロックシンガー”と言っても過言ではないヴォーカリストの「大黒摩季」さんが【なんと!】2019年4月に”離婚”していたことが明らかとなりました。

大黒摩季さん”49歳”にして人生の節目(離婚)を迎えたようです。

早速!その”離婚”の理由などについて紐解いてみたいと思います。


引用元【ツイッター(Yahoo!ニュース )】

その”離婚”の「理由」は【ズバリ!】新たな「パートナーを探すため!」とのことです。

取材には”笑いながら”若干フザケテ?発言したご様子ですが、かなりの”本音”が伺えたのだとか!

なぜ”離婚後”しばらく時間が空いてからの発表?については、相手に”迷惑”がかからないようにするため…と、発表しないと新たなパートナーが現れないし見つかっても「不倫扱い」されるのを避けるため!とのことです。

それに、”離婚”に陥った大きな「原因」は自身の”不妊”が一番大きいらしく・・・しかし今では”心”も”体”も「整理」がついたことで”離婚”に踏み切ったそうです。それに・・・

【なんと!】前旦那(同年代の一般人)は既に新たな”パートナー”を見つけたそうで【しかも!】そのパートナーは既に「妊娠中」であるとのこと!

当時”離婚”を発表すると”メディア”が騒ぎ出し、その”彼女”の「妊娠」が駄目になる恐れがあるし何よりも「流産経験者」であったことから、その「悲しみや後の辛さ」は誰よりも知っているので当時は”離婚”を「公に」しなかった理由の一つでもあるらしいです。

つまり自身の”身”を静かに(密かに)引くことで新たに授かった”命”を元旦那に”プレゼント”する事と決めた様なのです。

これからは、自身の”身”に起きた”肉体的”なこと!”精神的”なこと!全てを”リセット”されたご様子なので、心機一転”音楽活動”に慢心すると話されているようなので、ファンたちも一安心し「新生・大黒摩季」さんを応援して行くことでしょう!

心機一転!”人気ロックシンガー”「復活」を飾る大黒摩季さんにスポットイン!



   ◇◇◇ 記事の目次 ◇◇◇   

・ 中高大学は?
・ ららら?
・ 熱くなれ?
・ プロフィールのご紹介!



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◇ 大黒摩季さんの中高大学は?

大黒摩季さんは1969年12月31日生まれの49歳(2019年)で、ご出身は「北海道札幌市」です。

ご出身の”北海道札幌市”にあるご自宅で、ご両親と弟の四人家族で生活していたようです。

小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に有る学校に通うのが一般なので、大黒摩季さんも(北海道札幌市)内の小学校・中学校に通っていたと”推測”できます。

最新の情報では小学校は地元の北海道札幌市にある”札幌市立石山小学校”にご入学されたと判明しております。

ご家族は”ご両親”と”弟”がいて、ご自身は「長女」として生まれ育ったご様子。

ファンたちの間では”有名”な話ですが、ご実家は札幌市で菓子製造販売会社の”札幌キムラヤ”を経営されておりしたが2002年に”倒産”となったようです。

幼少期から”お転婆”な子供さんであったらしく、しょっちゅう一人”弟”とケンカをしては親を困らせていたのだとか!

たぶん、ご実家が”会社経営”をされていたことから”親”と居る時間が少なかった為でしょう?

しかし、その一方では小学生時代になると忙しい”親”であったことから弟の面倒を見ていたとの事。

また「習い事」として”習字”や”ピアノ”のレッスンを受けていたそうです。

“活発”な少女は小学生にあると”バレーボール”にハマっていたらしく、卒業時期を向かえた時に制作された”卒業文集”に「めざせ全日本!」と書き、本気で”プロ”になると志していたご様子!

“活発”な小学時代を終えると、中学校も地元の北海道札幌市にある” 学校法人藤女子中学校・高等学校”にご入学されました。

この学園は”学校名”の通り、中学・高校が系列の「一貫校」であり、中学校にさえ入れば高校は”内部審査”のみで「エスカレーター式」で”進級(進学)”することができます。

また、この学校は”道内”でも有名な”カトリック系”の学園として知られており【しかも!】唯一”中高一貫校”であるため、高校での「一般募集を行っていない!」女子学園のようです。

そんな”お嬢様学園”に入学した大黒摩季さんの中学時代は、この頃から既に”ハスキーな声”であったことから”ロック”に目覚め始め、主な”練習方法”は近くの「山」に向かって大きな声で「歌唱」していたのだとか?

また、当時では珍しい”ロック女子”であったことから非常に”かっこよく”、他校の男子生徒が”近寄って”来る機会が多く、その度に男子生徒を”ボコって(殴って)”いたのだとか?

“ロック女子”に目覚めた中学時代を終えると、高校も系列学園である”学校法人藤女子高等学校”に「内部審査のみ」で進学されました。

中学校時代から既に”ロック女子”に目覚めていたことから、高校になると「バンド活動」を始めたらしく、地元の”ライブハウス”で歌唱するほどの人気を見せていたのだとか!

【しかも!】”楽曲”のほとんどが田舎のバンドでは珍しい、ヘビーメタル&ハードロック系で、【さらに!】女子の”ヴォーカリスト”であったことで一際目立っていたそうです。

その中でも特に”イングランド出身”のハードロックバンドとして、根強い日本のロックファンから親しまれていたロックバンド「ディープ・パープル」を好んで”コピー”していたそうです。





ただ”高校入り立て”の頃は”ロック”よりも「音楽」に興味が強かったらしく、高校卒業後の進路は”音楽大学”を目指すため、”クラシック”の「声楽」を学んでいたそうです。

しかし”ロック”で人気者であったことから自身の”将来性”を「ロックシンガー」と定めたのか?高校二年生の”冬頃”に学校を”中退”して「上京すること」を親にブチ明けたそうですが、強い親の「説得(高校だけは卒業するようにと!)」により思い留まったそうです。

その後”大人しく”高校時代を終えると、大学には「進学せず」にロックシンガー(歌手)を目指して”上京”することになります。

もちろん”一匹狼?”で東京に進出したので、その後は”長~い”「下積み時代」をご経験されます。

“下積み時代”は学生時代よりも長く内容も”濃い”ので、ある程度「割愛」させて頂きます(笑;)。

高校卒業後は”上京”して、ご自身”20歳”の頃に現在の所属事務所でもある”ビーイング”が主催していたオーディションに参加して見事!「合格」を果たし、同事務所へ所属されました。

この時には、他の大手音楽事務所(ソニーやビクター)のオーディションにも参加し「合格」を手に入れていたのですが、”居心地”が良かった?あるいは”初心”から初めたかった?詳しいことは分かりませんが、音楽制作会社の”ビーイング”を選択されたそうです。

その後、直ぐにはデビューせずに当時”メジャー”であった「歌手やバンド」の”バックコース”を担当し、”歌手”としての「下積み時代」をスタートさせます。

1992年のご自身”23歳”の時、楽曲「STOP MOTION」で悲願であった「メジャーデビュー」を飾りました。


引用元【ツイッター(natsumi )】

この楽曲は、ご自身の記念すべき”歌手デビュー曲”でありながらテレビ朝日系列で放送されたテレビドラマ”女事件記者立花圭子”の主題歌に「タイアップ」され、人気上昇を大きく期待さえていたのですが、”無名の歌手”であったことから”ブレイク”までには至りませんでした。

【ところが!】さらに立て続けに”リリース”した楽曲「DA・KA・RA」が、カップヌードルでお馴染み”東洋水産”の「マルちゃん」から”タイアップ”され、予想以上の”反響ぶり”を見せて、「ミリオンヒット」を叩き出して一挙に”無名歌手”から「メジャー歌手」へと「ブレイク」を果たします。


引用元【ツイッター(しんちん )】

その後はご存じの通り「出す曲!出す曲!!」が次々と”ヒット”を飛ばし、日本レコード大賞の「新人賞」を手に入れたりして、一躍「大ブレイク」を果たし続けて行きます。

しかし、曲は”ヒット”するもののご自身は「表舞台に姿を見せなかった!」ことから”存在”すら疑問視する”輩”が出始めて「CDジャケットの人物はモデル?歌唱はコンピュータの合成」などの”都市伝説”が伝えられるようになり、別の意味で”注目”を集める事となります。

すると注目は”楽曲”よりも”初出演”へと移り、2000年代に同じように”露出”が少なく…しかし楽曲は”爆発的人気”を集めた「宇多田ヒカル」さんの時と同じように”状況”となったのです。

そして”ベール”を脱いだのが、1996年に開催された”アトランタオリンピック”でNHKの公式テーマソングに選ばれた楽曲”熱くなれ”の関係で、同局の”番組出演”によって今まで閉ざされた”お姿”を「公の場」で披露されました。


引用元【ツイッター(川久保秀一 )】

その後も順調に女性ロックシンガーとしての”キャリア”を積んで行きましたが、2010年に女性の難病「子宮疾患」を患い13thのアルバム”すっぴん”をリリース後、音楽活動を無期限で「休止」することが発表されました。

【実は!】この時既に、当初発症した”子宮腺筋症”によって他の臓器も悪化し”肥大”したことで子宮全体の”摘出手術”が必要となっていたそうで、さらに”子宮の病”により「妊娠」が絶望しされていたことから、そのための”治療”も必要とされていたこともあって、音楽活動の無期限休止を決定されたそうです。

しかし約”6年間”の長い闘病期間を経験され、ようやく「子供を諦めたのか?」2015年に子宮の”全摘手術”を行い、長かった「子宮疾患」に終わりを告げ”病”を「克服」をされました。

その後は、音楽活動休止中に”作詞・作曲”も手掛けるようになっていたことから”復帰”した同年に当時ダンス&ヴォーカルユニットとして活動していた「La PomPon」に楽曲提供を行います。

しばらくはこの”ユニット”をメインに多数の音楽アーティス・歌手の「楽曲提供」に慢心して行きます。

そして2017年に、ご自身”歌手デビュー”25周年を迎え、同年6月にデビュー記念「特設サイト」が開設されました。

そして今年(2019年)には昨年、音楽活動復帰後「初のリリースアルバム」となった「MUSIC
MUSCLE」を引っ下げて全国ツアー「MAKI OHGURO MUSIC MUSCLE TOUR 2019」を開催し、全国の
“ファン”たちに「元気な姿」を披露されて、今に至っております。



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◇ 大黒摩季さんのらららとは?

「ら・ら・ら」とは大黒摩季さんが1995年2月20日にリリースした楽曲で、ご自身の作品の中でも大ヒットを記録した”ミリオンセラー曲”でもあります。


また、この楽曲はテレビ朝日系列で放送された元スマップの「中居正広」氏が主演を務めたご自身の代表作でもあるテレビドラマ”味いちもんめ”の主題歌に”タイアップ”され、人気を博した楽曲でもあります。


大黒摩季さんの”ファン”なら誰もが知ることですが、ご自身のライブでは殆どの場合”ラスト”に奏でられる楽曲でもあり「締めの曲」としても有名でした。

楽曲がリリースされると直ぐにオリコンチャートで「首位」を獲得!【しかも!】累計枚数が驚異の130万枚越えのミリオンヒットを記録して音楽業界の注目を浴びました。

【さらに!】カップリング(B面)に収録された”恋はメリーゴーランド “はテレビ朝日系列で放送されていたニュース番組”CNN HEADLINE”に採用され、”情報番組”らしい選曲で番組を盛り上げておりましたね♪






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◇ 大黒摩季さんの熱くなれとは?

「熱くなれ」とは大黒摩季さんが1996年7月8日にリリースした楽曲で、シングル14thの楽曲です。

しかし当時は、残念ながらご自身がリリースされた”楽曲”の中でこの楽曲を”最後”にオリコンチャートで”一位”を占めることが「途切れて」しまいます。

また、”リリース直後”のオリコンチャートでは”一位”を獲得できず、”ジワジワ”と順位を上げる結果であった為、その頃から”人気”に「限り」が見え始めて行きます。

但し、この楽曲もNHKで放送されていた”アトランタオリンピック”での「テーマソング」に”タイアップ”されたて、大きに番組を盛り上げ「大成功」に貢献した楽曲でもあります。

その後も同局では”白熱する番組”が放送される度に、この楽曲”熱くなれ”が採用され、徐々に「お茶の間の”耳”」にまで届くようになって、”少しづつ”人気を集めて行きました。

ちなみに、この楽曲はヘビーロックバンド”聖飢魔II”の元ヴォーカリストで今は個人でご活躍中の「デーモン小暮閣下」氏によって2009年度に”カバー”されております。


引用元【ツイッター(早川剛史 )】

“作詞・作曲”内容が、非常に「情熱に満ちている」ことから”スポーツ関係”で扱われることが多く2008年には、日本プロ野球球団”東北楽天ゴールデンイーグルス”に所属する”キャッチャー”でご活躍中の「嶋 基宏」選手の”登場曲”に採用されました。

さらに、2012年度から阪神タイガースの指揮官となった「和田 豊」氏の影響で、自球団の「ステーマソング」として扱われておりましたね!

その他にも多数のアーティストやロックバンドに”カバー”され、今でもよく耳にする”名曲”で「後世に残る一曲」として親しまれておりますね♪






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◇ 大黒摩季のプロフィール

本名
大黒 摩季
読み
おおぐろ まき
生年月日
1969年12月31日
仕事
ヴォーカリスト
出身地
北海道札幌市
所属事務所
ビーイング
血液型
A型