
元プロ女流棋士で、将棋界の”アイドル”として人気を博していた「竹俣紅」さんをご存じでしょうか?
引用元【インスタグラム(benitakemata_official)】
幼い頃から”将棋”に励み、2012年10月からは”女流2級”でありながら”プロ入り”を果たし、 2016年4月に大手芸能プロダクションの”ワタナベエンターテインメント”に所属し、現在は タレントとしてご活躍中ですね!
将棋界をご卒業後は、テレビ出演数が急激に増え”アイドル級のルックス”で今一番注目を 集めている女性タレントの一人です。
“アイドルヲタク”からはAKBグループや坂道グループに所属していてもおかしくない”クラス”の アイドル!として、そちら方面からも注目されているようです。
確かに見た目は”ルックス”は可愛く”スタイル”もファッションセンスが良く、ヲタク達を絶賛 させている訳は分かるのですが、それよりも”元女流棋士”なので頭が良く清楚で知的な部分を 持った女性のイメージが強いので”インテリ・タレント”の見方が正解だと私は思います。
そんな”美人棋士”として名を馳せいた竹俣紅さんですが”将棋界”を離れたのは2018年12月でした。
突然ご自身の公式ブログで”日本将棋連盟”から「退会」し将棋界から「卒業」することを発表し 将棋ファン並びに自身のファン達を驚かせました。
その模様がこちら↓↓↓

引用元【ブログ(竹俣紅オフィシャルブログ)】
少年期の”プロ棋士”として注目を集め”先輩”のプロ棋士を次々倒し”超絶可愛い棋士”として たくさんのファンから親しまれておりましたが、ご自身の中では”将来の仕事”は”棋士”でないと気づき、別の道(タレント)を選択したようですね。
既に”プロ棋士”時代から大手芸能プロダクションに所属し”タレント”として芸能活動を行って いたので、世間から”チヤホヤ”される「価値観」に魅力を感じたのでしょう。
このブログでは2018年12月に将棋界からご卒業することを発表しておりますが、実際に 日本将棋連盟へ提出した退会届の”日付”は「2018年度末日」とされており、現役最終日は 「2019年3月31日」でした。
なので↑の”将棋界卒業”ブログの続きで「来年4月からは、外から将棋界を見守っていきたい と思います。」と続いており、2019年3月いっぱいで完全に将棋界から”足を洗る”決意を 表明していたのです。
また「ご卒業」の内容も”引退”ではなく”退会”なので、その意味は大きく異なり”日本将棋 連盟”に対して”引退”であれば、会員から退くだけで”将棋界”では「プロ棋士」として将棋を 指すことはできます。
しかし”退会”となると、連盟から完全に「脱退」することになるので”プロ棋士”の「資格」を 失うことになり、将棋界の”公の場”で将棋を指すことができなくなります。
つまり完全に”将棋人”として活動することができなくなるので、竹俣紅さんが連盟に”退会届”で 提出されたと言うことは自身の中で”ケジメ”を付けて「将棋人」を退く決意をしたのです。
“地位”も”名誉”も捨てて、相当な”覚悟”を持って「退いた」ことがよく伝わってきます。
ただ今では”若手棋士”と呼ばれる”「若年層」がドンドン増えており、将棋界では中学生で男子 プロ将棋士となった「藤井聡太」氏、囲碁界では若干小学四年生でプロ囲棋士となった大阪市 ご出身の「仲邑菫」ちゃんなどの”プロ棋士”が誕生しており、今後も増える可能性が高いので 昔と違って”若年層”がプロになることが「珍しくない時代」となっております。
引用元【インスタグラム(benitakemata_official)】
なのである意味、竹俣紅さんは”良いタイミング”で将棋界から離れ、覚悟を持って”プロ”を 捨てた事は、芸能界で活躍して行くためにも”良かった”のかも?知れないです。
そんな”タレント業”に「人生の舵」をきった竹俣紅さんにスポットイン!
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竹俣紅さんは1998年6月27日生まれの21歳(2019年)で、ご出身は「東京都」です。
ご出身の”東京都”にあるご自宅で、ご両親と兄の四人家族で生活していたようです。
小学生時代の情報が少ないので詳しくは分かりませんが、基本的に”義務教育”はご自宅近辺に 有る学校に通うのが一般なので、竹俣紅さんも東京都港区にある”港区立青山小学校”に通われて いたようです。
なので”ご自宅”も東京都港区近辺であると推測できます。
この小学校は1875年に設立された”伝統校”らしく港区近辺の小学校内でも”老校の学校”として 有名のようです。
ご両親は、父親が大きな大学病院の”教授”をされているそうで(推測)母親は普通の”専業主婦”と 伝えらており、お兄さんについての情報は殆どありません。
“噂”では母親が相当”美人”であるらしく若い頃の女優「野沢陽子」さん似で、料理も大変上手で 何よりも竹俣紅さんの”ルックス”を拝見すれば、それが証拠であると直ぐに納得できますね!
なので相当、恵まれた”家庭環境”で育ったと思われ、頭脳は父方・ルックスは母方の”DNA”を 継承されたのでしょう!
竹俣紅さんと”将棋”との出会いは”六歳”の時のようで、大勢で遊ぶよりも独りで居る方を好み、 物静かで大人しく”絵を描く”事や”読書(漢字好き)”する事が大好きだった”紅さん”がある日、 本屋へ”そろばん”の教材を買いに行ったところ、目的の教材(そろばん)がなかったらしく、 近くにあった”将棋の本”を呼んでいたら大好きな”漢字”を多数目にすることができ、そこから “将棋”に興味を持ち始めて勉強するようになったそうです。
まさにその時、ご自身を”全国区”にするための「運命の出会い」を果たしたのです。
そのとき読んだ”伝説の本”として有名なのがこちらのようです↓↓↓
引用元【ツイッター(みずたま )】
小学校に通うようになると、どこのスクールかは定かではありませんが”将棋スクール”にも 通うようになり、小学校に二年生の時に「初段」を取得したそうです。
引用元【ツイッター(あらし(寒い))】
スクールで将棋の”基礎”を学びながら様々な”戦法”も身に着け、勝ち星を増やすと共に”将棋”に ドンドンハマって行ったそうです。
小学高学年になると”矢倉”や”居飛車”などの戦法を好むようになり、それを生かして臨んだ “日本将棋連盟”が主催する「第1回駒姫名人戦」で見事!優勝に輝きました。
“将棋に才能”があることが周りから認められるようになると、ご自身小学校五年生の時に 日本将棋連盟専務理事で将棋棋士の「森内俊之」名人の元へと弟子入りを果たします。
引用元【ツイッター(ジョー@将棋系グループYouTuber)】
この時「森内俊之」名人は初めての”弟子”を抱えたそうで、しかも小学生であったことから 竹俣紅さんに”将来性”を感じ、棋士としての”才能”を見抜いたのか!がよく分かりますね。
その後は見る見る頭角を現すようになって、2010年に行われた”第5回白瀧あゆみ杯争奪戦”で 名立たるプロの”女流棋士”達を次々破り、決勝戦までコマを進めました。
その勢いのまま、同年行われた”女流王将戦”の予選会に”アマチュア代表”で出場し日本将棋界 始まって以来!初のアマチュア小学生として”女流タイトル戦”の「本戦」へコマを進めました。
その”快進撃”に驚いた将棋ファン達や関係者から、一挙に注目される存在(女流棋士)へと 成長して行きました。
そんな”小学棋士”もご卒業を向かえ、中学校は東京都渋谷区にある”渋谷教育学園渋谷 中学校・高等学校”にご入学されました。

引用元【サイト(NAVERまとめ)】
この学校は”中高一貫校”で内部審査で高校まで進めるので、俗に言う”エスカレーター式”の 中学校です。
但し、この中学の”偏差値”は「70」を越える”超難関校”として有名で、相当”学力”が無いと 入学することが難しいそうです。
中学生になると更に将棋の腕前を上げ、日本将棋連盟が主催する”研修会”で勝ち星を増やし、 2012年の自身中学二年生の時に”女流王将戦”で「本戦出場」を果たしていた事から女流二級の 資格で「プロ将棋士」となりました。
その後中学生活を無事に終え、高校も同様”渋谷教育学園渋谷高等学校”へと進みました。

引用元【サイト(NAVERまとめ)】
この高校は”男女共学”の私立高で、都内でも”指折り”の名門校として有名で”東京大学”& “京都大学”へ挑戦する学生が多く、毎年複数の「合格者」を生み出しているそうです。
なので”女流棋士”で”ルックス”が可愛いい竹俣紅さんなので、相当モテたのではないでしょうか?
高校時代の竹俣紅さんは”学業”と”将棋”を両立しなければならず、ご自身の中では棋士が八割、 勉学が一割、その他を一割と決めていたそうです。
その後も”将棋道”に励んだ高校二年生の時に”第23期大山名人杯倉敷藤花戦”に出場し名立たる プロを破り”倉敷藤花戦ベスト8”に進出したことで「女流1級」へと昇級しました。
更に翌年(2016年)には勝ち星数が”昇段規定”を超えた事で、自身初となる「女流初段」へと “昇段”を果たしました。
しかし高校卒業が近づくと”進学”を希望していたらしく学業に専念のため?日本将棋連盟に 一年間の”休場届”を提出し、しばらくの間”将棋”から離れることを決断したようです・・・と 言いつつ実は!この頃に大手芸能事務所の”ワタナベエンターテインメント”へ所属することが 分かり、やってる事に”異議を問う”声が多数寄せられ「師匠」を巻き込んでの大騒ぎとなり 世間をザワつかせておりました。笑;
ただ周りからトヤカク言われてもそこは”才色兼備!”、名門「早稲田大学」に見事!合格を 果たし、しかも難関学部の”政治経済学部(偏差値68以上)”に!ご入学されております。

引用元【サイト(NAVERまとめ)】
ちなみに”早稲田大学”を志望した理由は”将棋が強い大学”に入学し、たくさん将棋の勉強を したかった!とのことで選んだそうで、本来は”東京大学”を狙っていたようです。
大学に通い始めると”休業”していた将棋の対局へと戻り、また”プロの棋士”として将棋を 指し始めます。
その頃には、すっかり”大人の女性”へと変貌を遂げ”女性将棋士”では珍しい程のルックスで、 世の”将棋ファン”どころか”一般の男性達”からも注目されるようになり”アイドル級の棋士” として話題になり、沢山の”メディア”からも取り上げられ”棋士の顔”よりも”芸能人の顔”が 目立つようになり始めます。
芸能界で活動すると、もちろん”ギャラ”が発生しますが、そのほとんどを大学”授業料”の 支払いへと向けていたらしく、親への経済的負担を減らしていたそうです。
“金持ちのご家庭”との”噂”がありますが、意外にも”親孝行”の部分もあるようですね!
その後は上記↑でご紹介した通り、2019年3月いっぱいで完全に将棋界を退き、早稲田大学に 在学しながら本格的に芸能界の仕事(主にタレント)を熟し今に至っております。
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竹俣紅さんと言えば”才色兼備”であるため「メガネ」のイメージを持たれる方が多いと 思います。

引用元【ブログ(竹俣紅オフィシャルブログ)】
以前は”女流将棋士”としてご活躍されていましたので、尚更メガネのイメージが強いですね!
通われている学校(早稲田大学)でも、殆どメガネを愛用しているそうですが、芸能活動中は コンタクトレンズを使用しているそうです。
メガネとの出会い?は小学校五年生の頃のようで、この頃テレビでよく”対局戦”の模様を多く 見ることがありましたが、その時はほとんど眼鏡を着用しておりましたね。
なので私の中では竹俣紅さんと言えば”いの一番”でメガネの印象が思い出されます。
やはり”勉強が出来る子”はそれだけメガネの着用率が高いそうで、竹俣紅さんも相当”視力”が 悪かったらしく、頻繁に眼鏡を愛用しておりました。
そこで気になるのが、竹俣紅さんはどこの”メガネブランド”を愛用しているか?ですよね!
以前ご自身の公式ブログで眼鏡に関する記事をアップされたことがありました。
それによると↓↓↓
※ 引用元【ブログ(竹俣紅オフィシャルブログ)】
愛用の”メガネブランド”は「Zof」らしくfスタイルは”丸いメガネ”を好んでいるようですね!
またお気に入りのショップも”Zoffの専門店”のようで、通っている大学(早稲田大学)は 東京新宿区にあるので”Zoff新宿マルイ本館店”あたりで購入したのではないでしょうか?
このタイプあたりが”軽そう”で”斬新”なスタイルで素敵ですよね↓↓↓
引用元【ツイッター(喫茶店① )】
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竹俣紅さんは小学校五年生の時に日本将棋連盟専務理事で将棋棋士の「森内俊之」名人の元へ “弟子入り”をしました。
“森内俊之”名人にとっては”初弟子”であったそうです。
入門後直ぐに”頭角”を現し数々の対局戦で勝利を収め、”師匠”の森内名人は弟子の活躍で “鼻高々”であったと思いますが、以前”優しそうな雰囲気”の森内名人を”激怒”させ「破門」の 窮地に追い込まれた!等と”噂”され、ネット界で広く飛び交ったことがありました。
その理由として”対局の記録員を行わない!”や”将棋よりも芸能活動に慢心している!”等が 原因であると伝えられておりました。
記録員は対局戦の中で”時間を測ったり”、”棋士の指し手を記録する”仕事ですが、対戦中は 常に対局を”監視”しなければならず、ある意味”棋士同様”に「体力と根性」を要する仕事でも あります。
なので”プロ棋士”であれば練習の対局であっても”避けたい”と思うのは当然ですね!
また竹俣紅さんは当時、プロの”女流将棋士”でありながら大手芸能プロダクションの “ワタナベエンターテイメント”に所属し芸能活動も行っていたことで、そちらを優先して 熟すようになったと腹を立て師匠の怒りを買った!等と報じられ”将棋界”をザワつかせて おりました。
どうも”怒り”の駄目押しになったのが、テレビ出演などの比較的”短時間”で済む仕事ではなく、 撮影やロケで”長時間”を要する「フォトエッセイ」に時間を割いたことが「怒りの矛先」と なったらしいのです↓↓↓
引用元【ツイッター(書泉 アイドル情報 )】
ただこれは全てメディアや将棋ファン、さらにご自身のファン達が勝手に妄想?したのもで 実際には森内名人の”家”からは”破門”されておりませんでした!
当時はそれだけ将棋ファンや関係者から愛されていた”女流棋士”で、将棋界から失うことを 恐れたネット住民達が”噂”を拡散したのでしょう!
現在は将棋界から退いたので森内名人との”関係”がどのようになったのか?は分かりませんが、 これからは”将棋界の発展”につながるような芸能活動を行って頂きたものです。
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“噂”では竹俣紅さんのご両親は父親が大きな大学病院の”教授”をされているそうで(推測) 母親は普通の”専業主婦”であると伝えらております。
なので一般家庭(サラリーマンなど)よりかは裕福な家庭であったと推測され、竹俣紅さんの “姿”や”振る舞い”からも「お嬢様」のような印象が持たれますね!
しかし本当の竹俣紅さんが”お嬢様”と思われている所以はそんな事ではなく・・・実は! 竹俣紅さんの祖先は出羽国置賜郡を治めた”米沢藩”の重臣であった「竹俣氏」の”末裔”で あると伝えられているからです。
つまり「由緒ある家」の”姓”を引継いでいるのです。
また竹俣紅さんのお名前”紅”にも意味があるらしく”竹俣家”があった山形県米沢藩の”県花”が 「紅花」であることから”命名”された!とのことなのです。
以上の事柄でも相当な”お金持ち?”や”お嬢様!”のイメージを受けませんか?
更に、別の情報によると学生時代の”振る舞い”にも「お金持ち」を漂わせる行動が多く 見受けられたそうで↓↓↓
・ 父親の仕事先が有名で大きな大学病院!
・ 小学生なのに名人の弟子になれた!
・ 公式ブログで紹介している写真類に高級感がある!
・ 学校の送迎が高級車であった!
以上の情報の”信憑性”は何とも言えませんが、もしこれらが本当の事実なら相当なお嬢様で あることは間違いないでしょうね!
“ご本人”の口から聞くことが今の私の「希望?夢?」です。
引用元【インスタグラム(benitakemata_official)】
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- 本名
- 竹俣 紅
- 読み
- たけまた べに
- 生年月日
- 1998年6月27日
- 仕事
- 元女流棋士・タレント
- 出身地
- 東京都
- 所属事務所
- ワタナベエンターテインメント
- 血液型
- A型